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観る(大人のための観光ガイド)

 甲府は、武田信玄や太宰治の歴史がたどれる寺社などが多く、歴史ファンのみならず多くの人が訪れます。
 また美術館やランドマークなどもあり、見どころいっぱいの街です。
 そんな甲府を訪れる大人の旅のために、地元の者しか知らないちょっとだけ詳しい話を加えて、ご紹介します。


じっくり甲府を楽しむ大人には見逃せない観光スポット

円光院

 古くは石和町にあった成就院を武田信玄が1560年(永禄3)につつじが崎のふもとに移し、甲府五山の一つに加えて保護しました。寺には信玄公の寄進状や遺宝が伝えられています。
 信玄の正室三条夫人が元亀元年(1570)に逝去し、当院に 葬られたことによって、その法名から、瑞巖山円光護持禅院と改称され、 これが現在の寺号となりました。
 武田氏からは茶湯料・屋敷分として林部・石和の地に18貫文を寄進されていて、武田家滅亡後は、武田の家臣を祖先とする平岡氏累代の菩提寺となっています。
 本尊は釈迦如来で南北朝期の造。
 また、円光院から南西へ400mほどの住宅地の中には、武田信玄の墓所(火葬塚)もあります

 信玄公正室三条夫人は、大永元年(1521)に公家・三条左大臣公頼の次女として、京都三条邸に生まれました。母は高顕院、姉は細川晴元夫人、妹は本願寺(一向宗)光佐(顕如)上人の裏方(如春尼)です。 天文5年(1536)7月、16歳で駿河の今川義元の媒酌で武田晴信(信玄)公の正室となりました。信玄公との間に長男義信・次男竜芳・三男信之・長女黄梅院(北条氏政夫人)・次女見性院(穴山梅雪夫人)を生みました。夫人は元亀元年(1570)7月28日、信玄公に先立つこと3年、50歳でその生涯を閉じました。(円光院境内掲示より引用)

 延享3年(1746)伽藍を焼失、平岡代官によって再建されましたが、 現在の本堂は昭和52年に、庫裏は平成11年に再再建されたものだそうです。
 また、江戸時代に甲府藩主となった側用人の柳沢吉保が寄進した石灯篭が現存し、県指定有形文化財となっています。
 山裾に位置するこの寺は、遠くに見える南アルプス、手前の甲府盆地が見下ろせ景色も楽しめます。
 


詳細情報
名称 円光院
住所 甲府市岩窪町500-1
アクセス JR甲府駅からバスで8分
護国神社入口バス停から徒歩で3分


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