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観る(大人のための観光ガイド)

 甲府は、武田信玄や太宰治の歴史がたどれる寺社などが多く、歴史ファンのみならず多くの人が訪れます。
 また美術館やランドマークなどもあり、見どころいっぱいの街です。
 そんな甲府を訪れる大人の旅のために、地元の者しか知らないちょっとだけ詳しい話を加えて、ご紹介します。


甲府五山

法泉寺

 金剛福聚山 法泉禅寺は、甲府盆地の北縁に聳える法泉寺山の南東麓に建つ、臨済宗妙心寺派の寺院です。
 寺は、元徳2年(1330年)武田氏中興の祖と云われる甲斐国守護武田信武が開基となり、月舟周勲がその師である夢窓国師を開山に迎えて建てたものです。
 山号は境内にある金剛福聚岩と称する巨石に因んだもので境内背後の山の山頂にある大岩と呼応していると云われています。
 夢窓国師坐像、勝頼公画像などの寺宝を所蔵するほか、境内には、石造井戸側が残っており、いずれも甲府市の文化財に指定されています。
 甲府市の西北緑ヶ丘運動公園の山麓にあり、湯村温泉郷からも訪れることができますので、散策のついでにいかがでしょうか。

 法泉寺の境内には武田勝頼公、及び武田氏中興の祖とされる武田信武公の墓が並ぶようにして建てられています。

 信武公は、武田家第六代の武田信宗の嫡男として1303年頃に生まれ、足利尊氏の姪を娶りましたが、鎌倉末期の動乱の中で、尊氏に従い奮戦し、幕府創立に大きな役割を果たしました。その功により、甲斐のほかに安芸国守護も兼ね、さらには九州探題などの要職を歴任しました。
 また、信武公は和歌の達人としても有名で、作品は新千載和歌集や新拾遺和歌集に収められています。禅宗を篤く敬い、夢窓国師及びその高弟月舟禅師に深く帰依しました。元徳2(1330)年、父信宗が没すると、その菩提所を開基することを決意し、月舟禅師の指導の下に伽藍を造営したのが法泉寺の始まりです。これにより信武公は法泉寺を自らの菩提寺とし正平14年(1359)に死去すると法泉寺の境内に葬られています。

 その後、法泉寺は、信玄公の時代には、快岳周悦和尚を招き再興、妙心寺派に改め、武田家の祈願所に定められると堂宇の整備や寺領の寄進が行われ、さらに信玄公が世を去って後を継いだ勝頼公を中興開基にし、甲府五山(東光寺・能成寺・長禅寺・円光院・法泉寺)に列すると篤く庇護され寺運も隆盛します。

 しかし、勝頼は、天正10年(1852)3月11日、信長に追われ天目山を目指す途中の大和村田野で自刃し、首級は、織田の手で京都の妙心寺(法泉寺本山)に葬られます。
 それを法泉寺の快岳禅師が「当主のお墓が京ではあまりに遠すぎる」と、その歯髪の一部をもらいうけ、法泉寺境内に埋葬したと伝えられています。その「歯髪塚」の目印に桜が植えられたといわれ、現在も勝頼の墓地には桜の木があります。
 しかし勝頼独自の墓としては、この墓以外にはみられず、法泉寺が江戸時代の初めから幕府によって、勝頼菩提所として認められるようになりました。武田勝頼の墓というと山梨県内では景徳院が有名ですが、ここも菩提寺ではありません。勝頼自害の地に、織田信長亡き後甲斐を支配した徳川家康が供養のために開基したのが景徳院です。

 法泉寺境内、鐘楼門左側にそびえる松の木は、夢窓国師の手植と伝えられています。

 また、法泉寺には、勝頼公のご首級と法泉寺にまつわる「首級牛蒡」の伝説が語り継がれています。
 「天正10年、天目山で自害した勝頼公の首級は京都六条河原にさらし首となりました。これを伝え聞いた法泉寺三世の快岳禅師は大層悲しみ、密かにご首級を奪いご供養しようと考えましたが、織田軍の警戒が厳しく目的を果たすことができません。そこで、当時妙心寺におられた南化和尚(後の定慧円明国師)のお力を借りて、一旦は、妙心寺で鄭重な葬儀を営むことができました。しかし、快岳禅師は、勝頼公のご首級はその故郷である甲斐国に葬るべきと考え、密かに甲斐に持ち帰って来ました。しかし、法泉寺は織田勢の陣所になっていたので、やむを得ず法泉寺よりも北の山中の上帯那の三上家を頼っていきました。しかし快岳禅師の様子に不審を抱いた織田家の家来に追われ、あわや捕まりそうになったので、禅師は咄嗟に三上家の縁の下にあった牛蒡の俵の中へご首級を隠して難をのがれました。織田家の家来が立ち去った後、禅師はさらに山奥の大馬籠というところの昼もなお暗い栗林の中へ仮の庵を建て、これを信向庵と名付け、ご首級をお守りしながら時節の到来を待っていました。やがて織田信長が本能寺で打ち取られ織田勢が法泉寺を引き払ったことを確かめた禅師は、急いでご首級を寺に移し、境内に鄭重に葬ったのです。これが現在「勝頼公首塚」と呼ばれている場所といわれています。三上家ではこの伝えをもとに、毎年正月二日に法泉寺を訪れて寺の縁の下に牛蒡の束を投げ入れてから新年の挨拶をするようになり、これを「首級牛蒡」と呼ぶようになりました。」
 勝頼公の首塚は公の歯髪を埋めたところとされていますので、このご首級の話はどうやら後日の創作のようですが、「法泉寺ばなし」として代々引き継がれてきたそうです。


詳細情報
名称 法泉寺
住所 〒400-0001 山梨県甲府市和田町2595
アクセス 甲府駅南口からバス10分・塩部下車、徒歩15分


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