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火災から寺を護る蛤坂の天狗〜天狗参上

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天狗伝説

 天狗は,天狗倒し(山中で大木を切り倒す音がするが行ってみると何事もない),天狗笑い(山中でおおぜいの人の声や高笑いする声が聞こえる),天狗つぶて(大小の石がどこからともなくバラバラと飛んでくる),天狗ゆすり(夜,山小屋などがゆさゆさと揺れる),天狗火,天狗の太鼓などさまざまな怪異を働くが,こうした怪音,怪火の現象は山の神などの神意のあらわれと信じられ,山小屋の向きを変えたり,山の神をまつって仕事を休んだりした。


火災から寺を守る蛤坂の天狗

 
 加賀百万石の城下町・金沢の犀川大橋の近くには蛤坂という名前の坂妙慶寺と天狗があります。
 江戸時代の享保18年(1733)に大火があり、あたりの家々が焼けて、まるで蛤がぱっくりと口を開いたような様子になったので、この名前があるそうです。
 それまでは、この蛤坂は「妙慶寺坂」と呼ばれていたようです。坂を上がったところに浄土宗の妙慶寺があったからです。

 この妙慶寺は、享保18年の大火の時に、あたり一帯の家々がみな焼け落ちたにも関わらず、不思議な力で守られたかのように、ぽつんと焼け残ったと言われています。
 その後も何度か近くで火事があったが、なぜか妙慶寺はいずれも類焼を免れたという。

 これには不思議な言い伝えが残っています。

 今から三百年あまりも昔のこと、妙慶寺の五代目住職で、向誉上人(こうよしょうにん)という大変慈悲深い坊様がいました。
 子供が大好きで、寺の境内はいつも近所の遊び場所になっていたのですが、ある日のこと、何やら子供たちの騒がしい声がするので、向誉上人が見にいくと、何と子供たちがトンビをつかまえていじめているではないですか。

 これを見た向誉上人は、殺生なことをするものじゃないと子供たちに説いて、トンビを受とり、森の中へ逃がしてあげたのです。

 その晩のこと、上人が就寝している枕元に、見知らぬ老人が煙のようにスーツと姿を現わし、こう述べたのです。「わしは昼間助けてもらったトンビじゃが、何を隠そう、本当は飛騨の山奥に住む天狗だ。トンビに化身していたところ、小僧たちに捕まり危うく命を落とすところを助けてもろうた。ぜひ、このお礼をしたい」

 上人は特に望むことはなにもないと告げる。

 しかし、天狗はぜひともばかり、「ならば、この寺に災難が降りかからんように、魔除けをしてしんぜよう」というや、どこからか八角形の板を取り出して鋭い爪で板の表に「大」、裏に「小」という字を彫り、上人に渡したあと、大の月には表、小の月には裏をかけておくようにいうて、姿を消したのです。

 翌朝、上人は、枕元に八角形の板を見つけ、昨夜の出来事が夢でないことがわかり、それを庫裏の柱に掛けて、それ以来、大の月には「大」、小の月には「小」のほうを表にして庫裡(くり)に揚げることにしたのです。
 それ以降、天狗さんの寺と呼ばれ、天狗のいうとうり、いままで一度も火災の巻き込まれることがなくなったといいます。
 金沢では八角形の板を模した“大小暦板”を火難除けとされています。

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