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有名な大きい霊峰・名山には必ずなんらかの天狗が祀られている

全国の天狗concept




全国の天狗

 実は、天狗の話は、日本全国にあります。 実際のところ、有名な大きい霊峰・名山には必ずなんらかの天狗が祀られているようです。
 このように山と天狗は切っても切れない関係なのです。 これらの天狗がそれぞれ何々坊という名を持っていたのは、修験道の山伏の影響なのでしょうか。

 天狗でも大物になると権現や仏菩薩として,その山の護法天狗として祭祀される場合が多いようです。
 讃岐白峯山の相模坊天狗は,今に相模坊大権現として祀られ多くの信者をあつめていますし,遠州秋葉山の三尺坊は,火防神として祀られ,広く庶民に親しまれています。

 神として信仰の対象となる程の大天狗には、このように名が付いており、江戸時代中期に成ったとされる「天狗経」は、日本全国の有力天狗四十八狗を羅列しました。

 なお「天狗経」によれば、全国に十二万五千五百の天狗が棲むそうである。
 その背景には、修験道で天狗を神格化し個々につけた狗名が広く知られるようになったことがあるのではないでしょうか。

日本八大天狗

 それでは、日本八大天狗をご紹介しましょう。

愛宕山太郎坊(アタゴヤマタロウボウ) 京都府(愛宕山)


 日本の天狗の代表ともされる「愛宕山太郎坊」は、三千年前に仏の命によりいざなぎの神を祀る「愛宕神社」を守護する任についたとされて愛宕天狗います。

 愛宕山は、平安京から怨霊や魑魅魍魎が出入りする「天門」と呼ばれる西北の方角にそびえることから従来より「妖怪鬼神の棲む所・神門」として恐れられていました。
 その妖怪鬼神を束ねるのが「大天狗・愛宕太郎坊」なのです。

 愛宕山の由来については,江戸時代前期の『愛宕山神道縁起』の中の古縁起,あるいは同時期の『山城名勝志』「白雲寺」の項の縁起では、以下の記述があります。

 大宝年間(701〜704)に、修験の祖・役行者と愛宕山開山の祖・泰澄が、山裾の清滝から愛宕山を登ろうと17町(約300m)にある大杉の前で祈祷をしていると、にわかに天地が広がり、地蔵・龍樹・富樓那・毘沙門・愛染の五仏が現れ,さらに大杉の上に天竺の日羅・唐土の善界・日本の太郎坊が九億四万余りの天狗を率いて姿を現したのです。

 太郎坊は二人に対し「我らは先き二千年に、この霊山会場に仏の付属をうけ、大魔王となって山を領有し、群生を利益するであろう」と語って姿を消したのでした。

 このお告げに従い二人は、愛宕権現太郎坊天狗を祀り、朝日峰・大鷲峰・高雄山・龍上山・賀魔蔵山の五岳を置き,調停の許しを得て朝日峰(現愛宕神社)に神廟を立てた。
 これが愛宕山開山に起源とされています。

 一方、そもそも太郎坊はどこから来たのか、来歴伝承については、「空海の高弟であった知恵優れた僧が、惟喬親王と惟仁親王(後の清和天皇)の皇位争いの際に惟喬親王について、惟仁親王についた天台僧と壮絶な呪詛合戦を繰り広げた末に敗北し、この恨みをはらすために天狗(怨霊)となって天皇家を脅かし続けた。この天狗が、生前に修行を積んだ愛宕山に住み着いて太郎坊天狗となった。」とされています。

 愛宕山の天狗は古くから文献に登場しますが,固有名がありませんでした。「太郎坊」という名は、「源平盛衰記」(鎌倉初期)のの巻8「法皇三井灌頂の事」における後白河法皇と住吉明神の問答の中で,初めて出てきたようです。もっとも『源平盛衰記』の成立年代は不明です。

 また,久寿2年(1155)の藤原頼長の日記には愛宕山の天狗とあるのみで,20年ほど後の,安元3年(1177)の京都大火は愛宕山の天狗が引き起こしたとして「太郎焼亡」と呼ばれ,当時の検非違使の記録にも火事名「太郎」が記されています。
 「太平記」にも愛宕山の天狗集会の長老として登場しています。
 また、「車僧」という能にも出てきて仏法に負けています。


鞍馬山僧正坊(クラマヤマソウジョウボウ) 京都府(鞍馬山)


 京都の山に棲む天狗と言えば、やはり鞍馬山の天狗が最も有名でしょう。
 鞍馬山の「僧正が谷」に住むといわれ、平安時代の末期、やがて平家鞍馬天狗を倒すことになる源義経がまだ牛若丸と呼ばれていた少年期、配下の烏天狗を使い修行をつけ剣術を授けたという話は、謡曲「鞍馬天狗」をはじめその後の多くの物語に登場します。

 牛若丸に兵法を授けた「魔王大僧正」という天狗は、鞍馬寺の本尊である毘沙門天の化身であるとされています。毘沙門天は仏教における四天王に数えられ北方を守る戦いの神であり、そこから牛若丸に兵法を授けるという伝説が生まれたのでしょう。

 また、この毘沙門天と千手観音とともに本尊とされる「護法魔王尊」の姿は、鼻が高く背中に羽があると言われ、まさに一般にイメージされる天狗の姿であるため、こちらが鞍馬の天狗ではないかとも言われています。
 護法魔王尊は650万年前に平安京を守ろうと金星から地球に降り立った「サナト・クマラ」であり、身体は人間と異なる元素から成り、ずっと16歳のままだとか。(えっ、天狗は宇宙人ってことですか?)

 また、鞍馬山僧正坊は、真言宗を興した弘法大師・空海の十大弟子の一人真如法親王の高足である奈良にあった超昇寺の座主の壱演権僧正(つまり空海の孫弟子)であり、鞍馬山に隠棲して天狗になったのではないかと伝えられています。
 さて、鞍馬天狗の正体はいかに。

比良山治朗坊(ヒラサンジロウボウ) 滋賀県(比良山)


 次郎坊はもともとは比叡山に棲んでいて、愛宕山の太郎坊と並び称されるほどの「比叡山の大天狗」でした。大勢の天狗を束ねる首領で、里に下りては、わがもの顔で乱暴を重ねていたようです。古い物語にしばしば「叡山次郎」なる天狗が出てくるといいます。

 それが、平安時代初期、伝教大師こと「最澄」が、都の鬼門である比叡山に延暦寺を創建して魔怪たちを封じ込めていくようになると状況が変わってきます。次第に法力の優れた高僧が出てきて、次郎坊たちも法力比べで負けることも多くなります。とうとう次郎坊たちは比叡山に居づらくなり、多くの天狗を率いて比良山に移ったといいます。

 役行者(奈良時代)の修験道と平安初期の新仏教の交代を象徴するような出来事という研究者もいます。

 次郎坊は、平安後期の『今昔物語』(巻第二十)にも登場しています。香川県の「万能ノ池」(まののいけ)の竜王が小蛇になって昼寝をしていると比良山の天狗がつかんで飛びあがり岩穴へ閉じこめて弱ったところを喰おうとしたという話があります。

 また、別の話では、「比叡山の坊さんにつかみかかり食べようとした」であるとか、また「比叡山の給仕をしていた少年をさらって日本国中を連れ回った」とか、「その少年の叔父の家に火をつけて自分の体を温めた」という話も伝わります。

 また、「比叡山の山麓坂本の山王神社の祭りや、日光の祭りにまで顔を出し、集まってきた群衆に術を使って大げんかをさせた」などの乱暴な話も比良山次郎坊の部下(眷属)の仕業だとされているようです。
 


飯綱三郎(イヅナサブロウ) 長野県(飯綱山)


 長野県飯綱山に住む天狗。東日本の代表的な天狗で、知名度や眷属の数は富士山の「富士太郎」を凌ぐとされています。一説には長野県の飯綱山の天狗を「飯綱太郎」、戸隠山のを「飯綱次郎」、宮城県仙台市の飯綱山のを「飯綱三郎」と呼ぶともいわれています。
 信者には数多くの霊験を施したといわれ、日本全土を襲った凶作の時に「天狗の麦飯」と呼ばれる飯綱山頂の砂――飯砂(いいずな)を日本全土に配り、多くの命を救ったといわれています。
 
飯縄山の修験者は飯縄の法と呼ばれる方術を駆使する事で知られていますが、この飯縄の法とは荼吉尼天法とも称される外法です。
 これは荼吉尼天の眷属たる管狐その他の霊獣を使役するとされる邪法です。この荼吉尼天と同体とされるのが飯縄権現なのですが、飯縄三郎はこの飯縄権現そのものであると考えられています。
 飯縄権現は荼吉尼天・不動明王・天狗が習合したものと考えられますが、天狗への信仰は、狐や稲荷信仰に極めて近いものでもある事をうかがうことができるのです。
 特に、上杉謙信、武田信玄など戦国時代の多くの武将に信仰され、全国に広まったと言われています。

 ちなみに、飯縄権現は火伏せの神としても有名です。信濃飯縄山をはじめ、静岡の秋葉山、武蔵高尾山などに祀られている。
 飯綱(縄)権現は不動明王の化身とされ、その姿は「向背に火焔を負い、嘴(くちばし)口で羽翼をつけ、右手に剣、左手に索(綱)を持ち、白狐に立ち乗る姿」で表わされる。いわば、カラス天狗(≒カルラ天)が白狐の背に乗っているような姿をしている。
 この原体は、狐に乗った女神のダキニ天だとされています。カラス天狗を乗せる「白狐」を神使として扱ったようです。



相模大山伯耆坊(サガミオオヤマホウキボウ) 神奈川県(相模大山)


 大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ) は、神奈川県伊勢原市の大山(別名:雨降山〈あふりやま〉)にある神社です。相模国の式内社十三社の内の一社で、奥社に大天狗、前社に小天狗が祀られていた。これが全国八大天狗に数えられた大山伯耆坊です。

 大山伯耆坊はその名のとおり、もとは鳥取県の伯耆大山に住んでおり、相州大山には相模坊という天狗が住んでいたといわれます。
 ところが相模大山の相模坊が崇徳上皇の霊を慰めるために四国の白峰に行ってしまったために、その後任として移ってきたのだといいます。
 江戸時代の大山詣りの人々が道中で唱える唱文(しょうもん)や富士講行者の唱文にも、大山の「石尊大権現、大天狗、小天狗」の語が挿入されているように富士講の人たちに大変信仰されました。

彦山豊前坊(ヒコザンブゼンボウ) 福岡県(英彦山)


 福岡県と大分県の境にある北岳・中岳・南岳の3つからなる英彦山(ひこさん)は、古来より霊峰として信仰されている標高1199mの山。
 英彦山に祀られる日本八天狗の1人に数えられる大天狗「豊前坊大天狗」は、九州の天狗らの頭領で、その高い御神徳を称え、現在でも修験者たちの信仰を集めています。
 
 豊前坊は、欲深く奢りに狂った人には小天狗を飛ばせて子供をさらったり、家に火をつけるなど慈悲の鉄槌を下し、心正しく信仰する人には家来の天狗を集めて願い事を遂げさせ、其の身を守ると伝えられてきました。
 大天狗鞍馬山僧正坊の召喚に応えて鞍馬山に赴き、源義経に武芸を伝授したという伝説も残ります。

 豊前坊は、天照大神の子「天津日子忍骨命(あまつひこおしほねのみこと)」が天下ったもので役行者がこの山で修行した時それを祝福して出現したとされています。

大峰前鬼(オオミネゼンキ) 奈良県(大峰山)


 前鬼・後鬼(ぜんき・ごき)は、修験道の開祖である役小角が従えていたとされる夫婦の鬼です。前鬼が夫、後鬼が妻です。
 元は生駒山地に住み、人に災いをなしていたのですが、役小角は、彼らを不動明王の秘法で捕縛したのでした。
 彼らの5人の子供の末子を鉄釜に隠し、彼らに子供を殺された親の悲しみを訴えたのです。2人は改心し、役小角に従うようになった。
 義覚(義学)・義玄(義賢)の名はこのとき役小角が与えた名です。彼らが捉えられた山は鬼取山または鬼取嶽と呼ばれ、現在の生駒市鬼取町にある。
 前鬼は後に天狗となり、日本八大天狗や四十八天狗の一尊である大峰山前鬼坊(那智滝本前鬼坊)になったともされている。
 役行者に従って夫婦の後鬼とともに山を歩き回り、その身の回りの警護を努めたのでした。


白峰相模坊(シラミネサガミボウ) 香川県(五色台白峰)


 白峰山の相模坊天狗は「保元物語」「雨月物語」「源平盛衰記」など多くの文献に登場しています。相模坊天狗は元々神奈川県の丹沢相模大山に棲んでいました。
 保元元(1156)年,「保元の乱」に敗れた崇徳上皇が讃岐の松山(坂出市)に配流となりました。

 相模坊天狗は,崇徳上皇が京に帰りたいという願い持ちながら8年後同地で憤死したということを知り,神奈川県から白峰の地に飛び立ち,ひたすら崇徳上皇の霊前につかえて霊をなぐさめた。
 白峰山の相模坊が天狗界で隠然たる地位を確保したのは、崇徳院が亡くなってから、ひたすら院の霊前につかえ霊を慰め、白峰の霊域を守護し、今も守り続けているからだとされている。




 四十八天狗

日本全国の天狗(『天狗経』四十八天狗)をもう少し紹介してみましょうか。

秋葉山三尺坊(アキバヤマサンシャクボウ) 静岡県(秋葉山)
浅間ヶ嶽金平坊(アサマガタケコンペイボウ) 群馬県(浅間山)
愛宕山太郎坊(アタゴヤマタロウボウ) 京都府(愛宕山)
天岩船壇特坊(アマノイワフネダントクボウ) 不明
醫王島光徳坊(イオウガシマコウトクボウ) 鹿児島県(硫黄島)
石槌山法起坊(イシヅチザンホウキボウ) 愛媛県(石槌山)
厳島三鬼坊(イツクシマサンキボウ) 広島県(宮島弥山)
飯綱三郎(イヅナサブロウ) 長野県(飯綱山)
上野妙義坊(ウエノミョウギボウ) 群馬県(妙義山)
越中立山縄垂坊(エッチュウタテヤマジョウスイボウ) 富山県(立山)
大原住吉剣坊(オオハラスミヨシツルギボウ) 鳥取県(伯耆大山剣ヶ峯)
笠置山大僧正(カサギザンダイソウジョウ) 京都府(笠置山)
葛城高天坊(カツラギコウテンボウ) 奈良県(主峰金剛山)
鬼界ヶ島伽藍坊(キカイガシマガランボウ) 鹿児島県(種子島、トカラ列島悪石島周辺)
熊野大峰菊丈坊(クマノオオミネキクジョウボウ) 奈良県(大峯山菊ノ窟)
鞍馬山僧正坊(クラマヤマソウジョウボウ) 京都府(鞍馬山)
黒眷属金比羅坊(クロケンゾクコンピラボウ) 香川県(金比羅山)
高野山高林坊(コウヤサンコウリンボウ) 和歌山県(高野山)
高良山筑後坊(コウラザンチクゴボウ) 福岡県(高良山)
宰府高垣高森坊(サイフタカガキコウリンボウ) 福岡県(竃門山)
紫黄山利休坊(シオウザンリキュウボウ) 茨城県(紫尾山)
白髪山高積坊(シラガヤマコウジョウボウ) 高知県(白髪山)
白峰相模坊(シラミネサガミボウ) 香川県(五色台白峰)
象頭山金剛坊(ゾウズサンコンゴウボウ) 香川県(象頭山)
高雄内供奉(タカオナイグフ) 京都府
都度沖普賢坊(ツドオキフゲンボウ) 島根県(隠岐島)
天満山三万坊(テンマンザンサンマンボウ) 岐阜県
長門普明鬼宿坊(ナガトフミョウキシュクボウ) 山口県
那智滝本前鬼坊(ナチタキモトゼンキボウ) 奈良県、和歌山県
奈良大久杉坂坊(ナラオオヒサスギサカボウ) 不明
日光山東光坊(ニッコウザントウコウボウ) 栃木県(日光山)
新田山佐徳坊(ニッタザンサトクボウ) 群馬県(金山)
如意ヶ嶽薬師坊(ニョイガタケヤクシボウ) 京都府(如意ヶ嶽)
羽黒山金光坊(ハグロザンコンコウボウ) 山形県(羽黒山)
板遠山頓鈍坊(ハンエンザントンドンボウ) 不明
比叡山法性坊(ヒエイザンホウショウボウ) 京都府(比叡山)
肥後阿闍梨(ヒゴアジャリ) 熊本県(金峰山)
彦山豊前坊(ヒコザンブゼンボウ) 福岡県(英彦山)
常陸筑波法印(ヒダチツクバホウイン) 茨城県(筑波山)
日向尾畑新蔵坊(ヒュウガオバタケシンゾウボウ) 宮城県
比良山治朗坊(ヒラサンジロウボウ) 滋賀県(比良山)
富士山陀羅尼坊(フジサンダラニボウ) 静岡県(富士山)
伯耆大仙清光坊(ホウキダイセンセイコウボウ) 鳥取県(伯耆大山)
御嶽山六石坊(ミタケザンロクセキボウ) 長野県(御嶽山)
妙義山日光坊(ミョウギザンニッコウボウ) 群馬県(妙義山)
妙高山足立坊(ミョウコウサンアシタテボウ) 新潟県(妙高山)
横川覚海坊(ヨコカワカクカイボウ) 京都府(比叡山)
吉野皆杉小桜坊(ヨシノミナスギコザクラボウ) 奈良県(吉野山塊)

参考文献
「今昔物語・巻第二十」(竜王為天ぐ被取語第十一):「今昔物語」
「日本古典文学全集24・今昔物語」(3)(小学館)1993年(平成5)
「修験道の本」(学研)1993年(平成5)
「天狗の研究」知切光歳(大陸書房)1975年(昭和50)




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