宇津保物語に見る天狗
日本書紀には、流星として登場した天狗だったのですが、これ以降、文書の上で流星を「天狗」と呼ぶ記録は見当たらず、結局のところ中国の天狗の概念は日本に根付かなかったようです。
「万葉集」のような歌集や「日本霊異記」にも一切天狗が登場しないといいます。特に、「日本霊異記」は修験道の創始者である役行者について詳しく書かれているにも関わらず、天狗は一度も登場しないというのです。
天狗が再び日本の書物に登場するのは平安時代になってからです。そして再登場の天狗は、いきなり「妖怪」と化し、語られるようになるのです。平安時代中期になって、文学に舞台を移して現れてきたわけです。
まずは、天狗の復活を告げることになるのは、10世紀末成立の伝奇物語である「宇津保物語」における記述です。
「宇津保物語」は、全二十巻、著者は不明ですが、成立年も不明とされています。「竹取物語」にみられた伝奇的性格を受け継ぎ、日本文学史上最古の長編物語です。
「源氏物語」や「枕草子」の中でその一部が紹介されており、宇津保物語に登場するさまざまな場面・エピソードなどが、のちの「源氏物語」にも大きく影響し、受け継がれていると考えられています。
当時の貴族にとって、その演奏が教養でもあった楽器のひとつ「琴(きん)」の音楽をめぐって物語が展開していきます。
当時の年中行事を記した日記的な記述が多くみられる点も特徴のひとつです。
「清原俊蔭は王族出の秀才で若年にして遣唐使一行に加わり渡唐の途上,波斯(はし)国に漂着,阿修羅に出会い秘曲と霊琴を授けられて帰国し,それを娘に伝授する。俊蔭の死後,家は零落,娘は藤原兼雅との間に設けた仲忠を伴って山中に入り,大樹の洞で雨露をしのぎ仲忠の孝養とそれに感じた猿の援助によって命をつなぐ。」
そして、具体的に、「宇津保物語」において天狗の記述があらわれるのは、以下のようなところです。
「かく遥かなる山に、誰か物の音調べて遊び居たらん。天狗のするにこそあらめ。」
「天皇が北野に行幸されたときのことだ。かなたの山から不思議な音が聞こえてくるではないか。それは琴の音に似た、それでいていくつもの音を合わせたような不思議な音であった。
これは天狗の仕業であろうかと、藤原兼雅が、音の源を調べにいくと、幾山を越えた所で、杉の大木の空洞から音が出ていることがわかった。
不思議にも、兼雅はそこで、長く出会うことができなかった我が妻子と再会できるのである。怪音の正体は、山中に住む妻が弾いていた琴の音であった。」
どうでしょう。当初の流星や隕石のイメージからはすっかり変わってしまっています。 なんといっても人の姿になったのですから。
栄華物語に見る天狗
朝廷で編纂された国史は、『日本三代実録』を最後に、その後は完成を見ずに終わりました。かわって登場したのが、漢文で書かれた従来の歴史書とはまったくスタイルが異なる、仮名文で書かれた物語風の歴史です。
「栄華物語」は、その最初のもので、40巻からなる作者不詳の平安時代の編年体物語風史書です。正編は宇多天皇に始まり後一条天皇の長元元年(1028)まで。
続編は後一条天皇の長元3年 (1030)から堀河天皇の寛治6年(1092)までを扱い、藤原道長の生涯を中心に栄華や当時の朝廷と公家社会の様子を情感豊かに叙述しています。
成立は、正編が 11世紀前期で、続編が11世紀の末と考えられていますが、作者は、すべて仮名文で物語風に書かれていることから、女性が完成させたといわれ、赤染衛門(あかぞめえもん)など貴族の女房であると推定されています。
鏡物といわれる一連の歴史物語を産む下地となったとされています。
さて、その栄華物語にも天狗が登場します。この『栄華物語』では、「むかし天狗が住んでいたと言われる白河のあたりに御堂を建てようとした時、天狗が祟りをなして、建てさせないだろうという巷の噂があったので、殊更懇ろに供養を行って建立した」という記述があるのです。
このように平安時代中期の文学には、様々な形で天狗が登場していることが分かります。この頃の天狗はいくつかの特徴があるようです。
まず、共通しているのは、山に住んでいることです。そして時として人をさらうような真似もします。
天狗は、時に精霊のような姿で、また時には狐の容姿で現れ、土地にとり憑き人を祟るといったところです。確かにこのような特徴は、中国の天狗や鬼神に近いように思います。
今昔物語集に見る天狗
この時代の代表的な説話集に「今昔物語集」があります。王朝の遺族たちが行き交う平安京を舞台に、次々に起こる謎の事件、略奪、盗賊の暗躍、一条戻り橋の鬼や安義橋の鬼の話など、華やかな王朝の舞台裏でうごめく「闇」の世界を見事に描いた説話集ですが、ここにも様々な天狗が登場しています。
いたずらを僧侶に咎められ散々な目に遭ってしまう天狗、逆に僧侶をいいようにたぶらかす天狗、人々に幻術を教えまどわす天狗など、実に様々の天狗が登場します。
相次ぐ戦乱に、生死の苦悩にさらされた中世の人々は、救いの道や処世の知恵をこのような説話に求めたのではないでしょうか。
ところで、この時期、なんと女性の天狗(尼天狗)が登場するなど、容姿に多様な変化が認められます。この変化は、漠然と人々に恐れられていた天狗が、人々にとって身近な存在になってきていることを示しているように思えます。
さて、「今昔物語集」から、一つの説話をご紹介しましょう。
「昔、天竺に天狗がいた。天竺から震旦にやってきたのだが、そこで海の水がただ一筋に、「諸行無常、是生 滅法、生滅々已、寂滅為楽」と鳴っているのが聞こえた。天竺天狗はこれを聞いて、「海の水がどうしてこんな尊い深遠な法文を唱えるのだろう」と驚き、「この一筋の水のなんたるかを探り、流れるのを邪魔してやろう」と考え、一筋の水の音をたどりながら、旅にでかけるのだった。そして日本までやってきた。
博多、門司、瀬戸内海を経て、淀川から宇治川をさかのぼっていくにつれ、その音が一層鮮明になってくるではないか。とうとう比叡山の横川までやってきた。
そしてたどり着いたのはなんと僧が使う厠であった。ますます声は神々しく聞こえたが、四天王や護法童子の護衛があってそれ以上厠に近づくことができない。
そこで、たまたま通りかかった天道子に「この水がこのように尊くも深遠な法文を唱えるのはなぜだろうか」と尋ねてみるとこう答えたのだった。
「この川は比叡山で学問をする多くの僧の厠から出る水の流れの末にあたっているだからかのように尊い法文を水も唱えているのだ」天竺天狗はこれを聞いて、邪魔してやろうとの当初の邪心も消えうせてしまった、「厠の流水の末さえなおこのような深遠な法文を唱えているましてこの山の僧はどれほど尊いことであろう。恐ろしいことだ」
このように、結局のところ仏法説話なので、仏教の敵として描かれる天狗は調伏すべき対象となっています。
この時代は、天狗は仏教を貶めるために現れる妖怪と考えられたようです。まさに、陰陽師が鬼を退治するように、僧侶たちが天狗を退治して仏教を広めるために使われたようです。