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高尾山の天狗伝説〜天狗参上

天狗伝説concept



天狗伝説

 天狗は,天狗倒し(山中で大木を切り倒す音がするが行ってみると何事もない),天狗笑い(山中でおおぜいの人の声や高笑いする声が聞こえる),天狗つぶて(大小の石がどこからともなくバラバラと飛んでくる),天狗ゆすり(夜,山小屋などがゆさゆさと揺れる),天狗火,天狗の太鼓などさまざまな怪異を働くが,こうした怪音,怪火の現象は山の神などの神意のあらわれと信じられ,山小屋の向きを変えたり,山の神をまつって仕事を休んだりした。

高尾山の天狗

「たこ杉」

 もう今となっては昔のこと、そう高尾山が開山されたころは、今と違って薬王院への山道もまだ険しく、特に足腰の弱い人々や年寄りにはたいそう難儀な山だったのです。
 そこである夜のこと高尾のお山に住む天狗達が集まり、相談の結果、道普請(道路工事)をやろうということになりました。道普請とはいっても、それはそれ天狗様のことですから神通力で参道を見る見るうちに作っていったのです。

 しかし、もうすぐ薬王院というところにきて、その道つくりは、はたととまってしまったのです。
 それは一本杉と呼ばれる大きな杉が、四方に根を広げて、道のど真ん中にどかっと居座っていたからです。
 さあて、これにはさすがに天狗達は困り、相談したあげく「我らの神通力とてこれは無理。それにしても今日はもう日が暮れる。
 明日は、あの杉を切り倒して進むことにしようではないか」と結論が出ました。

 天狗様達のこの相談話を聞いた一本杉はさあ大変、せっかくこんなに大きくなって高尾の山でおおいばりでいるのに、こんなことで切り倒されてはかなわない。
 すると、あれよあれよ、一夜のうちに身をすぼめ、道のじゃまにならぬようにとどっこいしょとその大きな根をどかしたそうです。その動く姿がなんともたこのようだったとか。おかげで参道は、邪魔もなく見事に完成したそうです。
それ以来このたこ杉は「道を開く」ということから開運のご利益があるといわれています。                              


「天狗の木伐り」

木こり達が山仕事で高尾の山中で、夜、山小屋でとまっていると、突然大木が倒れるような、それはものすごい大きな音が聞こえることがあるそうです。
 時には、夜中に木を伐る音まで聞こえるのです。ちょうど斧で伐る「カーン、カーン」という音なんです。ところが、不思議なことに大木が、「ばり、ばり、ばり」と裂けていく音が聞こえるのですが、木々が地面に落とされる「どすーん」という音は聞こえないのです。
 気味が悪くなり、ただただ念じて震えるばかりの一夜が過ぎていきます。

 ところが、夜が明けておそるおそる昨夜あれほどまでに大きな音の聞こえた方へ近寄って行ってみても何事もないままにそこには高尾のお山があるだけ。これは、山にいる天狗様の仕業ということです。



「天狗の度胸試し」

 高尾の山は、今でこそ常夜灯もあり、夜道でも薬王院まで上っていくことは、難しくはないのですが、昔は当然、電灯も常夜灯もありませんから、山の夜はというと漆黒の闇でした。
 おまけに高尾のお山には夜中には天狗様が闊歩しているというのですから、そんな夜の高尾山に登っていくような度胸のある者はまずいませんでした。

 ところが、「俺は度胸があるぞ、天狗なんているもんか」という男がいて、酔狂にもほどがあろうことに、わざわざ夜中に山に登っていくということになったそうでう。
 ところが、参道を登り始めると、なんと道の真ん中に大木が何本も伐りだされていて、この男の行く手を阻んでいる。これにはどうしようもなく、男は引き返すことにしたのでした。
 しかし、その話を聞いた近所の衆は、「いやいや、そんなところに昨日の昼間は何もなかったぞ」とその男と共に、翌朝、その場所までやってきたが、どうしたことか、大木どころか小枝すらなかったというのです。
 どうやら、高尾の天狗様が、この高慢ちきな男の天狗になった鼻をみごとにへし折ったようだ。天狗様だけあって、鼻高々の男は許せなかったのでしょうかね。


「天狗わらい」

 天狗というのは、さまざまの神通力をもっております。
 そのひとつに人の心を読む神通力があり、山の向こうから人の心を読んでは、大声を出してそれを嘲り笑ったということで、高尾の山では、昔からこれを「天狗わらい」と呼んでいたそうです。

 ある時高尾の山里で村の祭りの奉納金の徴求が回った時のことです。奉納金の箱が回ってきたのですが、まず里長が今年は作物もあまりかんばしくないし、ちょっとけちって去年の半分にしておこうと入れる金額をケチったそうです。

 すると次の組長が、なんだ里長が半分なら自分はその半分でいいやと、続いて里人たちもその半分またその半分とけちっていったものだから結局、奉納金は、ほんの少ししか集まらず、なんとも惨めな祭りとなったそうです。

 それでもみんな自分一人のせいじゃない、それはみんなが悪いのさとうそぶいていると高尾の山から天狗が大きな姿を見せ、「わははは、わはははははははは」とそれはそれは大きな声で笑ったそうです。里人達はその声を聞いてみんな顔を真っ赤にして、そうそれはまさに天狗様のお顔のようにして自分たちを大いに恥じたそうです。       


「天狗さらい」

 小金井村にたいそう信心深い老人がいたそうです。そうですね、いまならJRで数駅ですが、当時は足腰の弱い老人がちょっと思い立ってというわけにもいかず、朝な夕なに「死ぬまでに一度でいいから高尾の山に登りたい」といつも高尾山に向かって手を合わせていたそうです。

 さて、薬王院のお堂では、いつものようにおつとめが行われておったそうです。すると、突然、その本堂のまんなかにこの老人が姿を現したではありませんか。

 この光景に腰もぬかさんばかりに驚く僧たちに向かい、大僧正は「これは天狗さらいだ」と穏やかな顔でこの老人を自分たちのお勤めへと向かい入れたそうです。r老人はたいそう喜んで僧たちといっしょにお勤めをつとめましたが、そのおつとめが終わるとこの老人は、またどこへか煙のようにすっと姿を消していったということです。 
 その後、この老人は「高尾にいって、一緒におつとめをしてきたぞ」といってもだれも信用してくれなかったそうですが、持病の中風もすっかり直り、ずいぶんと長生きしたといいうことです。                



「天狗つぶて」

昔のこと高尾の山麓に、それはもうけちでけちで、たいそう悪賢い石屋がいたそうです。あるとき何とか仲間の石屋をごまかして、こともあろうに神聖な高尾の参道の普請を請け負ったのです。しかし、そこは根っからの悪賢い奴ですから何とか金をうかそうと、そう今でいえば「手抜き工事」を考えました。
通常、参道に敷き詰める石は、一度敷いた後、しっかりと押さえつけてぐらぐらならぬように固めていく必要があります。
 そうしないと、大勢の人がその上を歩いて行くうちにぐらぐらしてしまい不安定になり危険でもあるからなんです。
 大きい石の間に、細かな石を組み合わせ、ひとつひとつ固めていくのですから、これは手間ひまのかかる結構な作業なのです。

そこで、この石屋、しっかりと道を直さず、適当に石を並べ、後は毎日参拝の信者たちがひっきりなしに訪れる高尾のことですから、あいつらが歩けば、そのうち自然に道は固まるだろうと、まだ日が高いというのにもうさっさと帰り支度を始めたそうだ。すると、どこからか石つぶてが飛んできた。
 あれと立ち止まるとつぶては止み、また帰ろうとするとつぶてが飛んでくるではないですか。
うわあ、これはいかん、これがうわさに聞くは「天狗つぶて」だと気づいて石屋は、天狗から仕置きされるという怖さもあって、さっき適当に敷いた石畳をもういちど全部ひっくり返して汗びっしょりになりながら、一晩中かけてもう一度最初から作り直したそうだ。
しかし不思議なことにその間中、石屋の手元は明るかったいいます。 



「やにつぶて」

昔、高尾の山麓には、2軒の石屋があったそうです。1軒の石屋は、それはそれはもう正直者で、毎月の高尾詣でをかかさず、とても信心深い石屋だったそうです。
ある夜のこと、その石屋が寝ていると突然、屋根の上にバラバラバラバラと石が落ちてくる音がするではありませんか。
 びっくりして飛び起きてあたりを見るのですが、真っ暗闇の中になんの気配もありません。次の朝、見ると家の周りに小さな石ころがたくさん落ちていたそうです。それからというもの毎晩のように石が降ってきたそうです。

正直者の石屋のことですから、これはきっと自分に落ち度があって、高尾の天狗様が怒っておりなさるのだ、と自分にいいきかせ、それから 以前にも増して仕事に精を出すようになったのです。               

さて、もう1軒の石屋といえば、これは大変な怠け者で、正直者の石屋が頑張るものだからお客はめっきり減ってしまい、お店もさびれるばかりです。このままでは、つぶれてしまう、何とかせねばと思ったのか正直者の石屋のまねをして高尾に詣でることにしたそうです。

さて、怠け者の石屋が杉並木を分け入ってうすぐらい参道に差し掛かったころ、いきなり杉の「やにつぶて」がざんばらりん、ざんばらりんと石屋めがけてまるで矢のように襲い掛かったそうだ。これには石屋も驚くやら怖がるやら、一目散に後ろも振り返らず高尾の山を駆け下りてきた。  
                
さてこの怠け者の石屋は、何と正直者の石屋を妬んで、実は毎夜正直者の石屋の屋根に小石を投げていたのだそうだ。恐ろしさと痛さで命からがら逃げてきたこの石屋は、これはきっと高尾の天狗様の罰があたったのだろうと「許してくれ、もう二度としません」と高尾のお山に大声でお願いしたそうだ。
 それから、この石屋がどうなったか実は誰も知らない。でも、正直者の石屋のほうは、それから店はますます繁盛して幸せに暮らしたとさ。   



「ばちあたり」

 むかし、高尾に鉄道が敷かれる頃の話です。線路工事にはたいそうな人手が必要とのことで高尾近隣だけでなく関東の遠くからもたくさんの工事作業者がやってきました。その中には東京から来るものもあり、「なんで自分は高尾みたいな田舎まできたんだ、高尾の田舎の連中はは馬鹿ばかりだ」と周りの仲間をさんざん馬鹿にしたのでした。
 中にはひどいやつもおり、「高尾の天狗がなんだ、そんなもん怖くなんかないぞ、天狗なんぞ小便かけてやる」と高尾のお山に向かってどなる始末。
 そんな奴等は、暑い夏は、適当に休み休みしてお天道様が高いうちに早々と切り上げて帰ってきた。

 ところがある日、夕方になっても帰ってこない。いつもならとうに帰ってきているはずなのにと心配していると「おおい、あの不信心の不届きものがいなくなったぞ」と連絡がはいったではないか。それは大変だってみんなで山の尾根伝いに一生懸命さがし始めた。

 すると土地の長老が「あいつは普段から高尾の天狗様を馬鹿にしていたので、怒りに触れて、罰があたったんだぞ。どこかにさらわれていったんだ」と。

 そこで高尾の山まで足を伸ばして捜していると、灯かりで照らされた杉の大木の途中になにか黒いものがある。よく見ると藤のつるでぐるぐるに縛りつけられたあいつではないか。

やっとのことでそいつを木から下ろしてやると、ぶるぶると震えながら「天狗様、どうぞゆるしてください」と涙をぼろぼろこぼしながら泣き出した。
 なんでもそいつの話では、突然小僧がでてきて「こっちさこい、こっちさこい」と呼ばれ、自分の意志によらずふらふらとついていってからはまったく覚えていないとのこと。その男はそれから高尾の連中を田舎者と呼ばなくなり、ずいぶんおとなしくなったとさ。

「天狗だおし」

 むかし、甲州街道の裏には野党、盗賊の一団がたむろし、金品を奪ったり、時には殺すなどして道行く人々にたいそう迷惑をかけておったそうです。ところが、彼らは高尾の山が見える頃になると不思議と悪さをしなくなったそうです。
 ある時、山越えした母子の旅人が、そこでこの盗賊達に追われてしまいました。高尾の山が見えるところまでと必死に逃げたそうですが、とうとうあと一歩のところで捕まってしまいました。                                

盗賊たちは、それぞれに大きな刀をふりかざして母子を睨みつけています。母子は、もうこれまでかと震える体で、命乞いすることもできず観念したそうだ。

 するとその時、どどどどどとどこからともなく大きな響きと共に周りの大木が次々と盗賊めがけて倒れかかってきました。
 盗賊達は、驚き口々に「天狗だおしだ」と叫び、一目散に逃げていきました。母子は「高尾の天狗様、ありがたや、ありがたや」と唱え、振り返ると、何と倒れたはずの大木がみんな元通りではありませんか。 

「天狗ばやし」

 高尾の山里では秋祭りの頃になると、夕暮れから夜更けすぎまで、どこからか祭囃子が聞こえてきます。はやしの音をたどっても、その正体は不明です。

 天狗は踊りが大好きだそうですから、その神通力で里のみんなを囃子に呼ぶそうです。誰もが踊らされていると思いながら勝手に体が動き、囃子に乗ってしまうとか。
 ひとりふたりと里の衆が増えていくと必ずその中に誰かわからない影がひとり混じっているそうだ。きっとそれが天狗だろうという話です。



「天狗の湯」

 高尾のお山のふもとの小仏川の谷間の村に吾平というなかなかの働き者で親孝行の若者がいたそうだ。あるときいつものように山で畑仕事を一休みしいつもおっかさんの作ってくれる弁当をひろげたそうだ。

 おっかさんの得意なお弁当は裏の竹藪でとれたタケノコごはんだった。
 これはじつにうまかった。毎日のつらい山仕事もこのべんとうで苦にならない、それでは、いただきますと弁当を食べようとしたところ向かいの大きな杉の上からじろじろっとのぞく者の気配に気づいたのです。はて、鳥でもなし、りすでもなし、さるでもなしと考えたが、そうかこれはきっとお山の天狗どのだと思った。

 前におっかさんから天狗どのもたくさんござるが、そのなかにはタケノコごはんがそれは好きで好きでたまらん天狗どのがいると聞いていたことがあったので、きっとその天狗どのだと弁当の半分を竹の皮に分けると杉の下にいき「どうぞ、よかったら、お食べくだされ」と置いてきたそうだ。

 さて、仕事を続け山から下りようとふと見ると竹の皮にあったごはんはきれにになくなっていたそうだ。山からどどどどどどと山鳴りが聞こえ、耳をこらしてよく聞いてみると「うまかったーーーーーー」というように聞こえたという。
 家に帰っておっかさまにその話をすると「それはいいことをしたのう。
 きっと天狗どのもたいそうよろこんでいらっしゃっただろうね」とにこにこ答えてくれたそうな。次の日からタケノコがとれる間はおっかさんに毎日2つのタケノコごはんをつくってもらい、山の畑にでかけ、ひとつは天狗どのにあげたそうだ。                        

 さて、その年の冬、おっかさまはたいそう重い病気になってしまった。お医者さまはこの冬が持ち越せればなんとかなるが、今年は特に雪も多いしと難儀なことだと心配してくれた。
 すると物知りの村の長が「この山の向こうに平井という小さな村があるが、そこの宝光寺の鹿の湯の温泉の湯は万病にきくというぞ、それをもらってくればきっとなおるぞ」と教えてくれた。

 これを聞いた吾平は、なんと大きな桶を背負い1日かかりでやっとのことでお湯をもらいもどってきた。
 もうすぐ我が家というところで、疲れていたのでしょう、なんと小さな石につまずいてころんでしまったのです。ここまでやっとの思いでせっかくのお湯は地面にすわれていく、吾平は途方にくれてしまいました。
するとなんということでしょう。
 こぼれたあとからなんと「ぽこぽこ」とお湯が沸き出したではないですか。あれよあれよ見る見る間に吾平の庭先に立派な温泉がわいた。この湯につかったおっかさまの病気はすっかりよくなったのです。ありがたいことだ。
 おっかさまの病気がなおったら不思議なことにこの温泉もおしまいになってしまった。村の衆はきっと天狗どののしわざだと言い「天狗の湯」と呼んで吾平の親孝行をほめたたえたという。

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