天狗は,天狗倒し(山中で大木を切り倒す音がするが行ってみると何事もない),天狗笑い(山中でおおぜいの人の声や高笑いする声が聞こえる),天狗つぶて(大小の石がどこからともなくバラバラと飛んでくる),天狗ゆすり(夜,山小屋などがゆさゆさと揺れる),天狗火,天狗の太鼓などさまざまな怪異を働くが,こうした怪音,怪火の現象は山の神などの神意のあらわれと信じられ,山小屋の向きを変えたり,山の神をまつって仕事を休んだりした。
伊東市街が見渡せる小高い場所に、伊東温泉七福神めぐりの一つになっている佛現寺(ぶつげんじ)があります。本堂には毘沙門天王が祭られていて、開運厄除けに御利益があります。山号は海光山といいます。
弘長元年(1261年)、日蓮は伊豆へ流罪となりました。
当時、難病に悩んでいた伊東の地頭・伊東八郎左衛門は、日蓮を伊東に招いて祈祷をおこなわせたのでした。すると病気が平癒したため八郎左衛門は日蓮に帰依し、館のそばに建てた毘沙門堂に置いた。この毘沙門堂が佛現寺の前身であり、日蓮が赦免を受けて伊豆を去った後、惣堂と呼ばれ8つの寺院の輪番で護持されていたとされます。
なお、佛現寺として独立した寺院となったのは、明治に入ってからということになる。
さて、この寺院には「天狗の詫び状」という巻物が保管されています。
長さは1丈(約3m)、幅は1尺(約30cm)の巻物に178行、2900余字の難解不読の詫び状は、現在まで一字たりとも解読されておらず、神代文字説や霊界文字説、はたまた密教教典説まで飛び出し興味は尽きません。
ただ、この詫び状には以下のような伝承が残されているのです。
伊東から中大見村冷川に通じる二里余りの山道の途中に、柏峠があります。万治元年(1658年)頃、この柏峠に天狗が現れ、多くの旅人が難儀していました。また、天狗は村人の畑に立ちっては荒らしまわり、人々を大変困らせていました。村人の中には、天狗を見ただけで寝込んでしまう者もいたほどでした。
その話を聞いた住職の日安上人はその天狗を懲らしめようと、単身柏峠に乗り込んでいきました。
怪力無双と言われた上人は天狗を見つけると、いきなり3尺もの長い鼻を両手で掴むと捻り倒したのである。
驚いた天狗は老松に飛び移ると、一陣の風と共に逃げ去ってしまったのです。
数日後、きこりを呼んで老松を切り倒そうとすると、天が曇り一陣の風に老松が地響きをたてて倒れたのと同時に巻紙が舞い落ちてきました。(一説では、日安上人が峠へ行って7日間祈祷をし、満願の日に峠の松の巨木を切り倒すと、枝に巻物が引っかかってきたともされる)。
何が書かれているかは判らないが、おそらく上人の怪力に恐れ入った天狗が、二度と悪さをしないと誓った内容がしたためられているのだろうということで「天狗の詫び証文」と呼ばれるようになったのです。
ところで、佛現寺には「天狗の髭」という、天狗にまつわる寺宝がもう1つあります。
佛現寺ゆかりの人物が所蔵していたが、天狗の祟りを恐れて「天狗の詫び状」のある佛現寺に寄進されたものです。
この髭には「オン・アビラ・ウンケン・ソワカ」との呪文が記された書き付けが伴せて伝えられています。
この呪文は「髭占い」の呪文で、天狗の髭を前にこれを3回唱え、髭の根本が動けば凶、先が動けば吉であるといいます。
詫び証文も髭も一般には公開されていません。その代わり伊東の和菓子屋である玉屋で作られている「天狗詫状」という羊羹が売られており、その包み紙に「天狗の詫び証文」の写しとその由来が印刷されている(この羊羹は佛現寺でも手に入れることが出来る)。
解読にチャレンジしたい方は、ためしてはいかがでしょうか。
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