菊姫 松姫を慕う人々~松姫の物語

松姫の生涯


八王子と松姫

  戦国の世を強く、そして気高く生き抜かれた松姫様の、その後のご生涯、特に八王子でのご活躍に焦点を当てて、詳しくお話しさせていただきたいと思います。

1.天下統一後の松姫様と徳川家康

 天下が徳川家康公によって統一され、江戸幕府による300年にもわたる泰平の世の礎が築かれたのは皆様ご存知の通りです。
 この大変革期において、松姫様の存在はどのように位置づけられたのでしょうか。

 江戸に本拠を移した徳川家康公は、甲斐と武蔵の国境警備を磐石なものとするため、八王子に「千人同心」という組織を創設しました。
 この千人同心は、他でもない武田家の旧臣たちを中心に組織されたものです。
 彼らは、かつての主君である武田信玄公の娘である松姫様に対し、深い敬愛の念を抱いていました。
 伝えられるところによれば、千人同心たちは、松姫様が八王子で生活されるにあたり、精神的にも経済的にも惜しみない支援を行ったとされています。
 武田の遺臣たちにとって、信松尼(しんしょうに)となられた松姫様の存在は、滅び去った武田家の象徴であり、心の拠り所であったに違いありません。

2.大久保長安と八王子代官所

 また、家康公は関東の総代官所を八王子に設置し、その総代官に大久保長安(おおくぼながやす)を任命しました。
 この大久保長安もまた、かつては武田家に仕えた家臣であり、馬場信春の配下として活躍した人物です。
 徳川家康公は、生前より武田信玄公を深く尊敬していたことで知られています。そのため、信玄公の娘である松姫様が八王子で暮らしていることを知ると、手厚い保護を与えました。
 具体的には、寺領を寄進し、折に触れて松姫様の消息を尋ねられたと伝えられています。しかし、松姫様は家康公からの手厚い庇護に対し、常に凛とした態度を崩さなかったと言われています。
 それは、亡き父への忠誠と、武田家の誇りを守り抜こうとする、松姫様ならではの気高き精神の表れであったのでしょう。

3.八王子での苦難と地域への貢献

 八王子に移り住んだ松姫様は、侍女たちと共に、蚕を飼い、自ら糸を染め、機を織って生計を立てることとなりました。
 この生活は、戦国の姫君としての華やかな暮らしとはかけ離れた、大変な苦労を伴うものであったと想像に難くありません。
 特に、ご自身のお子ではなく、武田勝頼公の遺児である3人の姫君(信玄公の孫にあたる)を養育されたことは、並々ならぬご苦労があったことと拝察いたします。

 しかしながら、松姫様はそうした苦境の中でも、武田一族の菩提を弔い続ける傍ら、近隣の子どもたちに手習いを教えるなど、地域の教育にも尽力されました。
 その温かい人柄と、武田の姫としての気高き姿は、旧臣たちのみならず、八王子に暮らす地元の人々からも深く慕われ、地域に根差した生活を送られました。

4.八王子織物と松姫様

 そして特筆すべきは、松姫様が絹織りの技術に大変長けていらっしゃったことです。
 松姫様が八王子で織られた織物は、その質の高さから評判を呼び、後の「八王子織物」へと発展していく礎となったのです。
 現在も八王子の伝統産業として栄える絹織物は、松姫様の才覚と、その生活の中から生まれた貴重な遺産と言えるでしょう。

 家康公は、天下統一後も、尊敬する信玄公の娘が八王子で暮らしていることを常に気にかけ、寺領を与えるなどして庇護し、折に触れてその消息を尋ね続けていたと伝えられています。

 松姫様は、多くの人々に慕われ、その気高い姿と心は、戦国の世を生き抜いた女性の鑑として、今もなお八王子の地で語り継がれています。