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 八王子城は北条氏康の三男である氏照によって築城されました。築城の際には、織田信長の安土城を参考にしたともいわれています。戦国時代最後の山城として北条氏の防衛網の一角でしたが、豊臣秀吉の小田原征伐の一環として豊臣方の上杉景勝・前田利家・真田昌幸らに攻められ、1日にして落城したといわれます。その後、徳川家康によって廃城となりましたが、近年、国の史跡や日本100名城に選ばれ、発掘調査や整備も進み、御主殿跡付近の石垣、虎口、曳橋などが復元されています。
 このサイトでは、八王子城の歴史や城の造り、また、落城にまつわる様々な伝説を紹介しますので、ご興味を持っていただき、八王子城を訪れるきっかけとなれれば幸いです。

八王子城の概要

 八王子城は北条氏の本城である小田原城の支城であり、関東の西に位置する軍事上の拠点であった。標高445 m(比高約240 m)の深沢山(現在の城山)に築城された山城です。
 深沢山は華厳菩薩妙行が、延喜13年(913年)に山頂で修行した山と伝えられ、修行中に牛頭天王と8人の王子が現れたとして延喜16年(916年)に八王子権現を祀ったことから、八王子城と名付けられたといいます

■八王子城の築城
 八王子城は、北条氏康の三男・氏照が1571年(元亀2年)頃より築城し、1587年(天正15年)頃に本拠としたといわれています。
 氏照は当初、大石氏の滝山城にその居城を構えていましたが、小田原攻撃に向かう甲斐国(現在の山梨県)の武田信玄軍に攻められた際に滝山城の防衛の限界を感じて本拠を八王子城に移したといわれています

■八王子城の落城
 小田原征伐の一環として1590年7月24日(天正18年6月23日)、八王子城は天下統一を進める豊臣秀吉の軍勢に加わった上杉景勝、前田利家、真田昌幸らの部隊1万5千人に攻められました。
 当時、城主の氏照以下家臣は小田原本城に駆けつけており、八王子城内には城代の横地監物吉信、家臣の狩野主善一庵、中山勘解由家範、近藤出羽守綱秀らわずかの将兵の他、領内から動員した農民と婦女子を主とする領民を加えた約3000人が立て籠り、最後の殺戮戦と言われる八王子決戦の火ぶたが切って落とされます

更新情報・お知らせ

2020/03/31
WEBサイト「八王子城訪ね歩き」リニューアルオープンEW
2020/03/15
WEBサイト「高尾通信」から八王子城のコンテンツを分離

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