菊姫 松姫を慕う人々~松姫の物語

松姫を慕う人々


督姫(小督姫)(仁科盛信の娘) と松姫

 武田家滅亡の時塩山の向獄寺から松姫は実の兄仁科盛信の娘小督姫を連れて八王子へ落ち延びます。
八王子に逃れてきた松姫が、金照庵→心源院→台町の庵(信松院)まで一緒した姫は、督姫(小督姫)だけではないかと考えられています。
仁科盛信
 心源院滞在時には、すでに支援する北条氏照一族が終焉を迎え、経済的には、窮するものがありました。
 松姫や督姫は、庵を立て、そこで蚕を紡ぎ、機織をして生計を立てていましたが、その生活は決して楽にはなりませんでした。

 これに対し、北条氏に代わって救援の手を差しのべたのが、八王子に警備のために赴任してきた旧武田家臣達からなる「八王子千人同心」達でした。

玉田院 その後、大久保長安が代官として赴任してからは、さらに援助の手は厚くなり、松姫には立派な僧坊を建て土地と共に進上したといいます。

 そして、小督姫も元横山町・大義寺西隣りに建てた僧坊を寄贈されたのです。
 小督姫は、仏門の修行の為、僧坊には留守居の侍女をおき、嫁がず法蓮寺(解散したファンモンのDJケミカル (田野倉智文さん)が住職を務めます)にて出家し、「生弌」の法名を頂き仏道に精進し父母の冥福を祈る日々を過ごします。

 玉田院しかし、督姫は、もともと体が弱かったようで、病の療養のため僧坊に戻りますが、1608年7月29日29歳の若さで亡くなります。

 没後 草庵を寺院にという姫の遺言により玉田寺を建てましたが、元禄期に廃寺になります。
 しかし廃寺となって荒れ果てていたところへ、信松尼の百回忌法要で八王子を訪れた仁科家の子孫・仁科資真がその様子を見かね、極楽寺に改葬し供養したのでした。