松姫を慕う人々
油川御寮人
松姫の母は、武田信玄の側室の一人であり、通称「油川ご寮人」として知られています。
彼女の出自は、信玄の父・信虎の庶長子である武田源左衛門尉油川信友(あぶらかわ のぶとも)の娘とされています。つまり、松姫の母は、信玄にとって姪にあたる存在であり、武田家の血筋を引く女性でした。
油川ご寮人は、17歳の時に信玄の側室として迎え入れられました。信玄が既に33歳の時であったと言われています。
彼女は数いる側室の中でも特に信玄に寵愛されたと伝えられており、その寵愛ぶりは、彼女が産んだ子供たちの顔ぶれからも伺い知ることができます。
油川ご寮人が産んだ主な子供たちには、松姫の他に以下のような面々がいます。
仁科盛信(にしな もりのぶ): 信玄の五男(あるいは四男とされることもあります)。仁科氏を継承し、武田家滅亡の際には高遠城で壮絶な最期を遂げました。松姫の兄にあたります。
菊姫(きくひめ): 信玄の七女。後に越後の大名・上杉景勝の正室となり、武田家と上杉家の和睦に貢献しました。
このように、油川ご寮人は武田家の中枢を担う重要な子女を産んでおり、これは彼女が信玄から深く信頼され、特別な存在であったことを示唆しています。
彼女の存在は、信玄の家庭生活だけでなく、武田家の政治的・血縁的な繋がりにおいても重要な役割を果たしていました。
なお、油川ご寮人の「油川」という名称は、彼女の父である油川信友の所領、あるいは居住地であった「油川」に由来すると考えられます。
「油川」という地名は、現在の山梨県甲府市油川町にあたります。この地域は、甲府盆地の中央部に位置し、かつては甲府城下町の東に広がる地域でした。古くから交通の要衝であり、農耕も盛んな地域であったと推測されます。
武田信友は、信虎の庶長子として武田家の分家である油川氏を興し、この地を拠点としていました。油川氏は、武田宗家を支える重要な一族であり、戦国期には武田家の有力な家臣団の一角を占めていました。
油川氏の存在、そして油川ご寮人がこの地の出身であることは、以下の点を示唆しています。
武田宗家と分家の婚姻関係: 武田信玄が分家出身の女性を側室に迎えることは、宗家と分家の関係を強化し、血縁によって一族の結束を図るという、戦国大名によく見られる政治的な婚姻政策の一環であったと考えられます。
油川氏の重要性: 油川信友の娘が信玄の寵愛を受け、重要な子女を産んだことは、当時の油川氏が武田家中においていかに重要な地位にあったかを示しています。
地名の記憶: 「油川ご寮人」という呼称が後世にまで伝わっていることは、彼女の出自である「油川」という地名が、武田家、ひいては戦国史において一定の重要性を持っていたことを物語っています。
松姫の母である油川ご寮人とその出身地「油川」に関する情報は、松姫の血筋、そして武田家の複雑な婚姻関係や一族内の力関係を理解する上で非常に重要な手がかりとなります。
彼女は単なる信玄の側室としてだけでなく、武田家の歴史、そして松姫の人生を語る上で欠かせない存在と言えるでしょう。