松姫ゆかりの地を訪ねて
松姫峠を越えて
松姫峠は、山梨県大月市七保町と丹波山村を結ぶ国道139号の峠であり、その名の通り、武田信玄の娘である松姫と深い関わりがあります。
天正10年(1582年)、織田・徳川連合軍による甲州征伐により武田氏は滅亡します。この時、松姫は織田信忠との婚約が破談となり、また身の危険が迫っていたため、信濃国から甲斐国を抜け、八王子方面へと落ち延びることになります。
この逃避行の際、松姫は武田家臣の小山田氏の庇護を受け、現在の山梨県大月市七保町から丹波山村を越え、武蔵国(現在の東京都八王子市)へと向かったとされています。この際に越えた峠の一つが、現在の松姫峠であると考えられています。
具体的には、松姫一行は小菅村を経て、奥多摩方面へと進んだとされており、その途上に松姫峠を越えた可能性は非常に高いです。当時の道は険しく、峠越えは並大抵のことではなかったと想像されますが、松姫の命を守るための必死の行動であったと推測されます。
松姫峠という地名がいつから定着したかは明確ではありませんが、古くからその地域で語り継がれてきた松姫の逃避行の物語が、峠の名称として定着したと考えられます。
伝説によれば、松姫がこの峠を越える際に、疲労困憊して休んだ場所や、自身の名を残したいと願った場所が、後世になって「松姫峠」と呼ばれるようになった、とも言われています。これは、民衆が松姫の悲劇的な運命に同情し、その記憶を留めようとした表れとも解釈できます。
また、松姫は八王子に落ち延びた後、現在の高尾山薬王院の近くに「松姫尼寺(信松院)」を開き、生涯を終えることになります。この八王子への道筋として、松姫峠が重要な役割を果たしたことは間違いありません。
なお、松姫峠は、松姫の歴史的な背景を持つだけでなく、現在では観光地としても知られています。峠からの眺望は素晴らしく、特に紅葉の季節には多くのハイカーやライダーが訪れます。
地域では、松姫の物語を観光資源として活用し、松姫ゆかりの地を巡るハイキングコースの整備や、関連イベントの開催など、地域振興に繋げる取り組みも行われています。