鬼の類型

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鬼の類型


 鬼は、死者の霊や怨霊、異民族や反乱者、自然現象や自然災害など、日本人が恐れたり畏敬したりしたものの象徴として、さまざまな形で物語に登場しています。
 古文書における鬼の出現は、文学、神話、宗教、歴史において様々な役割を果たしています。鬼は英雄の試練、誘惑の象徴、道徳的な寓意、宗教的な対抗者など、多くのテーマに関連して登場し、文化や社会に深い影響を与えています。これらの古文書からのエピソードは、鬼が人間の物語において不可欠な存在であることを示し、その多様な側面を探求する重要な資源となっています。

 また、鬼は、人間にとっての恐怖や敵対者であると同時に、恩人や恋人となることもあるということを示しています。鬼は、人間の心に触れることで、自分の心も変化させることができるということを示しています

 『古事記』には、イザナギが黄泉の国から逃げる際に、イザナミが変化した黄泉津醜女(よもつしこめ)という鬼に追われるというエピソードがあります。この鬼は、死者の霊魂や病気の原因とされ、人間に災厄をもたらす存在として恐れられました。しかし、イザナギが八岐大蛇(やまたのおろち)の剣で鬼を斬り、岩で閉じ込めたことで、鬼は封じられました。このエピソードは、鬼が人間の敵であると同時に、人間の英雄によって克服できる存在であることを示しています。

 『今昔物語集』には、鬼や天狗に関する多くのエピソードがあります。その中には、鬼や天狗が人間に恋をしたり、人間に教えたり、人間に助けたりするというものもあります。例えば、巻二十第七話には、染殿后が鬼に憑かれて病気になるという話があります。この鬼は、元は聖人だったが、染殿后に恋をして鬼になってしまったということです。この鬼は、人間の愛欲の象徴であると同時に、人間の心に触れることで、自分の心も変化させることができるということを示しています。

 『扶桑略記』には、染殿后の病気を治した金峰山上人が、実は天狗だったという話があります。この天狗は、元は真済和尚という高僧だったが、騎慢や執着のために天狗に堕ちたということです。この天狗は、仏法に対立する存在であると同時に、仏法に帰依することで、人間に恩恵を与えることができるということを示しています。

 以上のように、古文書における鬼のエピソードは、鬼が人間の物語において不可欠な存在であることを示し、その多様な側面を探求する重要な資源となっています。
 鬼は、人間にとっての恐怖や敵対者であると同時に、恩人や恋人となることもあるということを示しています。鬼は、人間の心に触れることで、自分の心も変化させることができるということを示しています。
 鬼は、人間の感情や価値観を反映してきたのです。