信玄公墓所(甲府市)甲府・甲斐国



信玄公墓所(甲府市)
甲府市内には「武田信玄公の墓」と伝わる場所が存在します。
ただし、信玄公の墓は全国に複数あり、甲府にあるものはそのうちの一つです。
甲府市岩窪町の武田信玄公墓所
信玄公の墓所として最も知られているのが、甲府市岩窪町にある場所です。
ここは、信玄公が亡くなった後、その死が3年間秘匿されていた期間に、遺体が一時的に葬られていた場所と伝えられています。
歴史的背景
信玄は、元亀4年(1573年)、西上作戦の途中に病に倒れ、信濃伊那郡で53年の生涯を閉じました。
彼は、死を3年間秘密にするようにという遺言を残しました。
これは、敵である織田信長や徳川家康に自軍の動揺を知られないようにするためでした。
この遺言に従い、信玄の遺体は密かに甲府へと運ばれ、土屋昌続の屋敷があったとされるこの岩窪町に埋葬されたと伝えられています。
この場所は、信玄公の遺体が荼毘に付された場所であることから、「火葬塚(かそうづか)」とも呼ばれています。
3年後、信玄の葬儀は塩山(現在の甲州市)の恵林寺で執り行われ、そこに正式に埋葬されました。
甲府市岩窪町のこの墓所は、あくまで一時的な埋葬地であり、正式な墓ではありません。
しかし、信玄公の死を秘匿するという、彼の壮大な遺言と、それによって生じた歴史の空白を物語る、非常に重要な場所です。
地元の人々からは、今も「信玄公のお墓」として敬愛されています。
墓所の詳細
現在、墓所には「法性院大僧正機山信玄之墓」と刻まれた墓石が建てられています。
また、山梨県の指定天然記念物である「岩窪のヤツブサウメ」という梅の木があり、春には見事な花を咲かせます。
住所とアクセス
住所: 〒400-0013 山梨県甲府市岩窪町
アクセス:
車: 中央自動車道「甲府昭和IC」から約20分。
バス: JR甲府駅北口からバスで約8分、「護国神社入口」バス停で下車し、徒歩10分。
その他の信玄の墓 信玄の墓は、遺言によって一時的な埋葬地が秘匿されたことや、後に家臣やゆかりの地で供養塔が建てられたことから、甲府市内だけでなく、全国に複数存在します。
〇 恵林寺(山梨県甲州市): 信玄の菩提寺であり、3年後の本葬儀が執り行われた場所です。正式な墓所として広く知られています。
〇 大泉寺(山梨県甲府市): 信玄の父である信虎の菩提寺ですが、信玄の霊廟も祀られています。
〇 高野山奥之院(和歌山県): 多くの戦国武将が供養塔を建てていますが、信玄の供養塔もここにあります。
甲府市岩窪町の墓所は、信玄の冷徹な決断と、その死をめぐるミステリアスな歴史を物語る場所として、非常に興味深い史跡です。