武田信玄公が統治した甲斐の国(現在の山梨県)には、彼の生涯や治世を物語る数多くの史跡や神社仏閣が残っています。それらをいくつかご紹介し、それぞれのいわれや信玄との関係を解説します。

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甲府・甲斐国武田信玄公が統治した甲斐の国(現在の山梨県)には、彼の生涯や治世を物語る数多くの史跡や神社仏閣が残っています。

武田神社(甲府市)

甲府市にある武田神社は、武田信玄を主祭神として祀る神社です。大正8年(1919年)、信玄の功績を称え、旧武田氏館跡(躑躅ヶ崎館)に創建されました。信玄が住居としたこの地は、武田氏の拠点として約60年間栄え、武田家滅亡後も甲斐の武田氏の歴史を象徴する場所として大切にされてきました。

甲斐善光寺(甲府市)

甲府市にある甲斐善光寺は、信玄が建立した寺として知られています。戦国時代の度重なる戦火で信濃善光寺が焼失するのを恐れた信玄が、本尊や宝物を甲斐に移すために創建したと伝えられています。

信玄堤

笛吹市、甲斐市、南アルプス市にまたがる信玄堤は、武田信玄が治水事業のために築いた大規模な堤防群です。甲府盆地を流れる御勅使川(みだいしがわ)と釜無川の合流地点に築かれ、水害から領民を守る役割を果たしました。

恵林寺(甲州市)

甲州市にある恵林寺は、武田信玄の菩提寺として知られています。信玄は生前、禅僧である快川紹喜(かいせんじょうき)を招いて、この寺の住職としました。信玄の死後、遺骸はこの寺に葬られたと伝えられています。

武田八幡宮(韮崎市)

韮崎市にある武田八幡宮は、武田氏の氏神として知られる古社です。武田氏の始祖である源義光(新羅三郎義光)が創建したと伝えられ、歴代の武田当主から厚い信仰を受けていました。

要害山(甲府市)

甲府市の北部に位置する要害山(ようがいさん)は、武田信玄が生まれた場所として伝えられています。この山には、信玄の父・信虎が築いた要害山城があり、武虎の館である躑躅ヶ崎館の詰城(非常時に籠城するための城)でした。

大泉寺(甲府市)

大泉寺は、武田信玄の父である武田信虎の菩提寺です。信玄によって駿河に追放された信虎は、信玄の死後、甲斐に戻ることを許され、この地で晩年を過ごしました。

東光寺(甲府市)

甲府市にある東光寺(とうこうじ)は、臨済宗の寺院で、武田信玄公の人生における、最も痛ましい出来事が起きた場所として知られています。この寺は、信玄の冷徹な決断と、その決断によって引き起こされた悲劇的な家族の物語を今に伝えています。

清白寺(山梨市)

山梨市にある清白寺は、信玄の弟である武田信廉が建立したと伝えられています。信廉は、信玄の死後、信玄の影武者となって、信玄の死を隠した人物としても知られています。

信玄公墓所(甲府市)

信玄公の墓所として最も知られているのが、甲府市岩窪町にある場所です。ここは、信玄公が亡くなった後、その死が3年間秘匿されていた期間に、遺体が一時的に葬られていた場所と伝えられています。