恵林寺甲府・甲斐国



恵林寺
戦国時代の英雄、武田信玄公が治めた甲斐の国(現在の山梨県)に今も息づく、武田家ゆかりの地を巡る旅へと皆様をご案内したいと思います。
今回は、信玄公の信仰心と、武田家の最期を語る上で欠かせない恵林寺について、その歴史と信玄との深い関係を詳しく解説します。
恵林寺:信玄の精神的な支え
甲州市にある恵林寺は、武田信玄公の菩提寺として知られています。
信玄は、臨済宗の禅僧である快川紹喜(かいせんじょうき)を深く尊崇し、永禄7年(1564年)に彼を恵林寺の住職として招きました。
この寺は、信玄が政治や戦で多忙を極める中、心の安寧を求める精神的な支えであり、彼の信仰の中心でした。
信玄は、禅の教えに深く帰依し、戦国時代の過酷な現実を生き抜くための精神性を養いました。
彼は、禅の思想を通じて、生と死、勝敗といった物事を深く見つめ、「風林火山」の軍略を完成させたと言われています。
武田家の滅亡を象徴する悲劇
信玄の死後、武田家は息子の勝頼が継ぎましたが、織田信長の猛攻にさらされます。
天正10年(1582年)、武田家が滅亡に瀕した際、勝頼の家臣の一部が恵林寺に逃げ込みました。
これを知った織田信長は、寺に家臣の引き渡しを要求しますが、快川紹喜はこれを拒否します。
信長は激怒し、恵林寺を焼き討ちにしました。
この時、快川紹喜は、炎に包まれる山門の上で、弟子たちとともに座禅を組み、「心頭滅却すれば火もまた涼し」という有名な言葉を残して炎の中で亡くなりました。
この言葉は、仏教の教えに基づき、心が無心になれば、どんな苦痛も感じないという境地を表現したものです。
このエピソードは、信玄と家臣たちの結束の強さ、そして武田家の滅亡を象徴する悲劇として、後世に語り継がれています。
快川紹喜は、師である信玄の教えを最後まで守り抜き、武田家への忠誠を貫いたのです。
現代に伝わる恵林寺の魅力
恵林寺は、武田家の滅亡を象徴する場所であると同時に、信玄公の深い信仰心と、文化人としての側面を今に伝える貴重な歴史遺産です。
〇 信玄公の墓所:
恵林寺には、信玄公の墓所が伝えられています。
彼の遺骸は、信長の追討を恐れて密かにこの寺に葬られたとされています。
〇 庭園:
恵林寺には、池泉回遊式庭園や、快川紹喜が作庭したと言われる庭園があり、禅の思想が色濃く反映されています。
これらの庭園は、信玄公が求めた心の安らぎを今に伝えているかのようです。
恵林寺を訪れることは、単なる歴史探訪ではありません。
それは、戦国時代の英雄が何を信じ、何に支えられて生きていたのか、そして武田家の最期が、いかに悲劇的でありながら、同時に人々の絆の強さを物語るものであったのかを、肌で感じることができる、歴史との対話なのです。
ぜひ、恵林寺に足を運び、信玄公と快川紹喜の深い絆、そして武田家の誇りを感じてみてください。
住所: 山梨県甲州市塩山小屋敷2280
公共交通機関でのアクセス:
電車とバスを組み合わせて向かうのが便利です。
JR塩山駅からのアクセス: JR中央本線塩山駅が最寄り駅となります。
塩山駅の南口から、西沢渓谷方面行きの山梨交通バスに乗車し、「恵林寺前」バス停で下車してください。所要時間は約15分です。
車でのアクセス:
中央自動車道の勝沼インターチェンジ(IC)または一宮御坂インターチェンジ(IC)を利用するのが一般的です。
勝沼ICからのルート: インターチェンジを降りた後、国道20号線を経由して国道411号線(青梅街道)へ向かい、恵林寺方面へ進みます。所要時間は約20分です。
一宮御坂ICからのルート: インターチェンジを降りた後、国道20号線(甲府バイパス)を東へ進み、勝沼方面へ向かいます。その後、国道411号線へ入ります。所要時間は約25分です。
駐車場: 恵林寺には広い駐車場が完備されており、無料で利用できます。