駿河国(現在の静岡県中部・東部)と遠江国(現在の静岡県西部)は、武田信玄が天下統一の夢を追う中で、軍事と外交の面で深く関わった地域です。この地には、信玄の戦略的な思考と、その冷徹な決断を物語る史跡が数多く残されています。

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駿河・遠江方面武田信玄が長年にわたり覇権を争った信濃国(現在の長野県)には、彼の軍略や生涯を物語る重要な史跡が多く残っています。ここでは、特に重要な場所をいくつかご紹介します。

駿府城跡(静岡市)

駿府城は、戦国時代に今川氏の本拠地であった場所です。信玄は今川義元と「甲相駿三国同盟」を結び、友好関係を築いていましたが、今川義元の死後、その同盟を破り駿河侵攻を決行しました。

三方ヶ原古戦場(浜松市)

三方ヶ原古戦場は、元亀3年(1572年)に武田信玄と徳川家康が激突した場所です。上洛を目指す信玄は、浜松城に籠る家康を誘い出すため、あえて浜松城を素通りするという挑発的な行動に出ました。家康はこれに乗じて出陣し、信玄の策にはまってしまいます。

大井川河畔(静岡市・島田市)

大井川は、駿河と遠江の国境を流れる大きな川です。信玄は駿河侵攻の際、この川を越え、遠江に攻め入りました。しかし、この川を越えるのは容易ではなく、信玄の兵站(へいたん)を悩ませたとされています。

龍潭寺(浜松市)

龍潭寺は、遠江の有力国衆である井伊氏の菩提寺です。井伊氏は、今川氏の家臣でしたが、桶狭間の戦いで今川義元が討たれると、徳川家康に仕えるようになります。信玄の遠江侵攻の際、井伊氏は徳川方として武田軍と戦いました。