武田信玄が長年にわたり覇権を争った信濃国(現在の長野県)には、彼の軍略や生涯を物語る重要な史跡が多く残っています。ここでは、特に重要な場所をいくつかご紹介します。

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信濃国武田信玄が長年にわたり覇権を争った信濃国(現在の長野県)には、彼の軍略や生涯を物語る重要な史跡が多く残っています。ここでは、特に重要な場所をいくつかご紹介します。

川中島古戦場(長野市)

長野市にある川中島古戦場は、武田信玄と上杉謙信が5度にわたって激突した場所として知られています。特に永禄4年(1561年)の第四次川中島の戦いは、両軍合わせて数千人もの死傷者を出した、戦国時代を代表する激戦でした。

海津城跡(松代城跡・長野市)

長野市松代にある海津城は、武田信玄が信濃平定と上杉謙信への備えとして築いた重要な拠点でした。築城は天文22年(1553年)頃から始まり、城代として信玄の信頼厚い高坂昌信が置かれました。

上田城跡(上田市)

上田城は、真田氏が築城した城として知られていますが、この地は武田信玄が真田氏を家臣に組み入れた信濃国の中枢でした。信玄は、真田幸隆を重用し、この地域の支配を任せました。

高遠城址公園(伊那市)

高遠城は、信玄が信濃侵攻の過程で攻略し、武田氏の重要な拠点とした城です。武田家の家臣である武田信廉(のぶかど)が城代を務め、信玄の死後、織田信忠(のぶただ)の軍勢を相手に壮絶な最期を遂げました。

諏訪大社(諏訪市)

諏訪大社は、信濃国の一宮であり、古くから信仰を集めてきた神社です。信玄は、この地を治める諏訪頼重を滅ぼし、信濃侵攻の足がかりとしました。その後、信玄は諏訪氏の娘を側室とし、息子をもうけるなど、政略結婚を通じて支配を強固にしました。

典厩寺(長野市)

武田信繁の最期は、戦国史上最大の激戦の一つ、第四次川中島の戦いでした。永禄4年(1561年)、武田軍が上杉軍の奇襲によって総崩れとなる中、信繁公は退却する本隊の殿(しんがり)を務め、自ら槍を振るって敵を食い止めました。しかし、激しい戦闘の中で壮絶な討ち死にを遂げました。