上田城跡(上田市)信濃国



上田城跡(上田市)
武田信玄と真田氏の関係、そして信玄の外交と人材登用の巧みさを象徴する上田城について、解説します。
上田城:武田信玄が築いた信濃支配の礎石
長野県上田市に位置する上田城は、一般的に真田氏が徳川家康を二度にわたって撃退した難攻不落の城として知られています。
しかし、この地は、武田信玄が信濃国を支配する上で、そして真田氏という稀代の名将一家を味方に引き入れる上で、極めて重要な意味を持っていました。
上田城の物語は、信玄の軍略の奥深さ、特にその外交手腕と、人と組織を活かす才を物語っています。
真田氏の組み込み:信玄の人材登用術
上田城を築いた真田氏、特にその当主であった真田幸隆(さなだゆきたか)は、もともと信濃の有力な国衆でした。
しかし、武田信玄の信濃侵攻により、彼らは領地を失い、武田家と敵対する立場に置かれました。
通常であれば、このような相手は滅ぼされるか、力を奪われてしまいます。
しかし、信玄は、真田氏の才覚を正確に見抜きました。
1.武田家への帰属
信玄は、真田幸隆が持つ武勇と知略、そして信濃国内での影響力に目をつけました。
彼は、幸隆を滅ぼすのではなく、味方として迎え入れるという大胆な決断を下します。
信玄は、幸隆が元の領地を取り戻すことを約束し、彼らを武田家の家臣に組み入れました。
この外交手腕は、信玄が単なる武力による支配者ではなく、相手の力を巧みに利用し、自らの勢力に取り込むという、柔軟な発想を持っていたことを示しています。
2.真田氏への権限委譲
信玄は、武田家に帰属した真田氏を深く信頼し、彼らに信濃の要衝であるこの地域一帯の支配を任せました。
これは、信玄の優れた人材登用術と権限委譲の表れです。
信玄は、真田氏が持つ信濃国内での影響力と、幸隆の卓越した軍略を最大限に活かすことで、この地域の支配を確固たるものにしました。
この信玄の期待に応え、真田幸隆とその子である昌幸、信之は、武田家のために多大な功績を挙げました。
上田城:武田氏が築いた信濃支配の拠点
上田城は、信玄の死後に本格的に築城された城ですが、その基盤と戦略的な意味は、信玄の信濃支配の時代に確立されました。
信玄は、この地が上杉謙信の越後、そして織田信長や徳川家康の勢力圏と接する、戦略的に極めて重要な場所であることを理解していました。
〇 信玄が築いた戦略的要衝:
信玄は、上田城の場所に、真田氏に命じて砦や城を築かせました。
これは、信玄が将来的に、この地が武田家の信濃支配の要となり、さらに徳川家や上杉家との対決の最前線となることを見通していたからです。
〇 信玄の築城技術の影響:
上田城は、後に真田昌幸によって、武田流築城術の粋を集めた城として完成されました。
この築城術は、信玄が築いた海津城などに見られる堀や土塁の配置、そして自然の地形を巧みに利用する技術が色濃く反映されています。
これは、真田氏が武田家のもとで、優れた軍事技術と知略を学んだことを物語っています。
武田家の滅亡と真田氏の奮闘
信玄の死後、武田家は息子の勝頼が継ぎますが、織田・徳川連合軍の猛攻にさらされ、天正10年(1582年)に滅亡します。
しかし、真田昌幸は、信玄から学んだ知略と、信玄が築いた人脈を活かし、武田家滅亡後の戦国の世を巧みに生き抜きました。
〇 徳川家康を撃退した二つの戦い:
真田昌幸は、上田城において、徳川家康の大軍を二度にわたって撃退しました。
これは、真田氏の卓越した戦術と、上田城の堅固さがもたらしたものです。
この強さの源流は、信玄が真田氏の才能を見出し、彼らに武田流の軍略を教え込んだことにあると言えるでしょう。
信玄が真田氏という優秀な人材を見出し、重用したことが、武田家滅亡後の真田氏の活躍につながったのです。
上田城は、真田氏が築いた城ですが、その背後には武田信玄の深い知略と人材を活かす才能がありました。
この地は、信玄が武力だけでなく、外交と人材登用という「見えない力」を駆使して領土を拡大したことを物語っています。
信玄は、真田幸隆の才覚を見抜き、彼らを味方につけることで、信濃の要衝を抑えることに成功しました。
そして、その結果、真田氏は信玄の死後も、武田家の遺志を継ぎ、その名を後世にまで轟かせました。
上田城を訪れることは、信玄の生涯の出発点に立ち返り、彼が戦乱の中でいかにして育ち、いかにして天下統一の夢を抱くようになったのか、思いを馳せる貴重な体験となります。
この場所は、信玄の「勝つべくして勝つ」という哲学が、いかにして人と人との絆、そして優れた知略によって実現されたのかを今に伝えています。
住所: 長野県上田市二の丸6263番地イ
公共交通機関でのアクセス :公共交通機関を利用する場合は、JRと私鉄の駅が集まる上田駅が便利です。
JR・しなの鉄道・上田電鉄「上田駅」からのアクセス 上田駅から徒歩で約12分です。駅前からは城跡公園までの道も分かりやすく、歩いて向かうことができます。
車でのアクセス: 車で向かう場合は、高速道路のインターチェンジを利用します。
上信越自動車道「上田菅平IC」からのルート :上田菅平ICから車で約15分です。
駐車場 :上田城跡公園には、上田城跡北駐車場と上田城跡南駐車場があり、合わせて300台以上の駐車が可能です(有料)。