武田信玄公が統治した甲斐の国(現在の山梨県)には、彼の生涯や治世を物語る数多くの史跡や神社仏閣が残っています。それらをいくつかご紹介し、それぞれのいわれや信玄との関係を解説します。

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武田八幡宮甲府・甲斐国

武田八幡宮

 武田信玄公が治めた甲斐の国(現在の山梨県)に今も息づく、武田家ゆかりの地を巡る旅へと皆様をご案内したいと思います。
 今回は、武田氏の歴史と信仰を象徴する武田八幡宮について、その由来と信玄との深い関係を詳しく解説します。
 
 韮崎市に鎮座する武田八幡宮は、武田氏の氏神として知られる古社です。この神社の歴史は、武田氏のルーツにまで遡ります。
 平安時代後期、武田氏の始祖である源義光(みなもとのよしみつ)、通称「新羅三郎義光」が創建したと伝えられています。
 源義光は、現在の山梨県にあたる甲斐国に勢力を広げ、その子孫が「武田」を名乗るようになったことから、この神社は武田氏にとって、特別な意味を持つ場所となりました。
 歴代の武田当主は、この神社を氏神として深く信仰し、戦の勝利を祈願したり、社殿を修復したりするなど、代々大切にしてきました。
 それは、武田氏が源氏の末裔であるという誇りを胸に、戦国の世を生き抜くための精神的な支柱となっていたのです。

 武田信玄公もまた、この武田八幡宮を深く信仰しました。彼の治世において、この神社は、単なる氏神というだけでなく、武田家の精神的なよりどころとして、重要な役割を果たしました。
1.勝利への祈願
 信玄は、出陣に際しては、必ずと言っていいほど、武田八幡宮に立ち寄り、戦の勝利を祈願したと伝えられています。これは、彼が神仏の加護を信じていたことの表れであり、また、家臣や領民に対して、武田家が神に守られていることを示す、重要な儀式でもありました。
 信玄は、戦の勝利を報告するために、神社に太刀や鎧を奉納するなど、信仰心を形にしました。

2.社殿の修復と保護
 信玄は、荒廃していた武田八幡宮の社殿を修復し、神社の保護に尽力しました。
 これは、単なる信仰心からだけでなく、武田氏の権威と歴史を後世に伝えるための、重要な政治的行為でもありました。
 彼は、武田氏が長きにわたる由緒ある家柄であることを示すことで、家臣や領民からの信頼をさらに高めようとしました。
 信玄のこのような行動は、彼が単なる戦の天才ではなく、自らのルーツを深く理解し、それを統治に活かした、優れた為政者であったことを物語っています。

現代に伝わる武田八幡宮の魅力
 武田八幡宮は、武田氏の歴史と信仰を今に伝える貴重な場所として、現在も多くの人々が訪れます。
 〇 歴史的建造物:
 神社には、信玄公の時代から残るとされる、歴史的な建造物がいくつかあります。
 特に、本殿は国の重要文化財に指定されており、当時の建築様式を今に伝えています。
 〇 武田氏の歴史:
 境内には、武田氏の歴史を解説する案内板や、信玄公が奉納したとされる品々が展示されており、武田氏のルーツから滅亡までを学ぶことができます。

 武田八幡宮を訪れることは、単なる歴史探訪ではありません。
 それは、武田信玄が、自らのルーツを大切にし、それを力に変えて戦国の世を駆け抜けた、誇り高き武将であったことを、肌で感じることができる貴重な体験なのです。

住所: 山梨県韮崎市神山町北宮地1185
公共交通機関でのアクセス:
  電車とバスを組み合わせて向かう方法が一般的です。
  JR韮崎駅からのアクセス JR中央本線韮崎駅が最寄り駅となります。駅前ロータリーから、韮崎市民バス「円野線」に乗車し、「武田八幡入口」バス停で下車してください。バス停から徒歩約5分から10分で到着します。
 車でのアクセス :中央自動車道の韮崎インターチェンジ(IC)を利用するのが便利です。
  韮崎ICからのルート: インターチェンジを降りた後、武田八幡宮方面へ進みます。国道20号線を横断し、釜無川にかかる武田橋を渡り、山間部へ向かう道を進みます。所要時間は約15分です。
  駐車場: 武田八幡宮には、参拝者用の無料駐車場が完備されています。