武田信玄公ゆかりの地は、甲斐、信濃、駿河といった主要な領国以外にも、彼の信仰心や人柄、そして死後にまつわる伝承として、日本各地に点在しています。

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信玄の隠し湯伝説主要な領国以外

信玄の隠し湯伝説

 武田信玄と「信玄の隠し湯」伝説について、解説します。
 この伝説が単なる逸話ではなく、信玄の人柄や治世哲学を象徴するものであることを、代表的な温泉地とともに掘り下げていきます。

信玄の隠し湯伝説:武将の顔と慈愛の心
 武田信玄公が、戦で傷ついた兵士や自身の持病を癒すために、各地の温泉を開発し、その存在を秘匿したという伝説が、現在も数多くの温泉地で語り継がれています。
 これらの温泉は、総じて「信玄の隠し湯」と呼ばれ、信玄公の軍事的な功績とはまた異なる、人間的な温かさや、家臣を思いやる心が広く人々に受け入れられていた証拠と言えるでしょう。
 この伝説は、単なる療養施設としての温泉の物語ではなく、戦国時代の過酷な状況下で、信玄がどのようにして家臣の士気を高め、強固な信頼関係を築き上げたかという、彼の治世哲学を象徴しています。

戦傷を癒す戦略的拠点:隠し湯の役割
 「信玄の隠し湯」は、単なる私的な湯治場ではありませんでした。
 それは、信玄の軍略の一環として、戦略的な重要性を持っていたと考えられています。
1. 兵士の療養と士気向上:
 絶え間ない戦の中で、兵士の負傷は避けられませんでした。
 温泉は、刀傷や戦の疲れを癒し、兵士の早期回復を促す重要な役割を果たしました。
 これにより、兵士は戦場に再び立つための活力を取り戻し、武田軍全体の士気を高く保つことができました。
 信玄が、兵士一人ひとりの命と健康を大切にしたという事実は、彼が単なる戦の駒として家臣を見ていたのではなく、彼らをかけがえのない戦力であり、家族のように大切にしていたことを物語っています。

2. 情報管理と安全保障:
 これらの温泉が「隠し湯」として秘匿された背景には、軍事的な理由があったとされています。
 敵に温泉の存在を知られると、そこが敵の奇襲の標的となる危険性があったからです。
 また、温泉は、機密情報を扱う秘密会議の場としても利用されていた可能性が指摘されています。

3. 信玄自身の療養:
 晩年の信玄は、持病である肺結核に苦しんでいたとされています。
 彼は、この持病の療養のために、これらの温泉を利用していたと考えられています。
 信玄が温泉で療養しながらも、武田家の未来を憂い、戦略を練っていたという事実は、彼が最後まで武田家の当主としての責任を全うしようとしたことを物語っています。

代表的な「信玄の隠し湯」と伝説
 山梨県を中心に、長野県や静岡県にも、数多くの「信玄の隠し湯」が存在します。
 ここでは、その中でも特に有名な温泉地をいくつかご紹介します。

下部温泉(山梨県)
 
山梨県身延町に位置する下部温泉(しもべおんせん)は、富士川の清流沿いにある、歴史ある温泉地です。
 この温泉は、戦国時代に武田信玄公によって再興されたと伝えられています。
 特に、戦で負傷した兵士の刀傷や骨折を癒すのに効果があるとされ、「武田の湯治場」として利用されました。
 温泉の成分である硫黄が、傷の治癒を助けたとされています。
 下部温泉は、信玄が家臣を大切にしたという人柄を象徴する場所です。
 戦場で傷ついた兵士が、この温泉で心身ともに癒され、再び戦場へと向かう姿は、信玄と家臣たちの間に築かれた、揺るぎない信頼関係を物語っています。



湯村温泉(山梨県)
 甲府市にある湯村温泉(ゆむらおんせん)は、武田信玄の父である信虎の時代から武田氏の湯治場として利用されてきました。
 信玄自身も利用したとされ、武田氏の権力と密接な関係がありました。
 湯村温泉は、甲府の館(躑躅ヶ崎館)からほど近く、信玄にとって、政治の中心地から離れることなく、手軽に利用できる貴重な場所でした。
  この温泉は、信玄が、単なる療養目的だけでなく、家臣とのコミュニケーションや、戦略を練るための場所としても利用していた可能性を示唆しています。
 信玄は、温泉というリラックスした空間で、家臣たちと膝を突き合わせ、率直な意見を交わしていたのかもしれません。



「信玄の隠し湯」が語る信玄の人間性
 これらの温泉にまつわる伝説は、信玄の軍事的な功績だけでなく、その多面的な人柄と深い信仰心を物語っています。
 〇 家臣への慈愛:
 信玄が、戦で負傷した兵士のために温泉を開発し、秘匿したという伝説は、彼が家臣の命と健康を心から大切にしていたことの証拠です。
 〇 人間としての苦悩: 信玄は、戦国の世に生きる武将として、多くの命を奪うという宿命を背負っていました。
 しかし、彼は、敵味方を問わず、戦死者の霊を弔うために寺院を建立し、自らの持病を温泉で癒すなど、人間としての苦悩や弱さも持ち合わせていました。
 これらの温泉は、信玄の人間的な温かさや、家臣や領民を思いやる心が、単なる伝説ではなく、広く人々に受け入れられていた証拠と言えるでしょう。
 信玄のゆかりの地は、戦国時代の英雄としての信玄とはまた違った、人間としての信玄の姿を感じることができるでしょう。