武田信玄公ゆかりの地は、甲斐、信濃、駿河といった主要な領国以外にも、彼の信仰心や人柄、そして死後にまつわる伝承として、日本各地に点在しています。

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「人は城、人は石垣、人は堀」の言葉信玄の逸話・伝説

「人は城、人は石垣、人は堀」の言葉

  本項は、「信玄の逸話」と題しまして、戦国最強の武将、武田信玄公の治世の哲学を象徴する言葉、「人は城、人は石垣、人は堀」について、その背景と真意を、じっくりと掘り下げていきたいと思います。

「人は城」伝説の背景:なぜ言葉が生まれたのか
 武田信玄がこの言葉を遺したとされる背景には、戦国時代の城の在り方が大きく関係しています。
 当時、城は武将の権力と軍事力を象徴するものであり、多くの戦国大名が強固な城郭を築き上げ、自らの身を守っていました。
 織田信長は安土城を、豊臣秀吉は大坂城を築き、天下の覇権を誇示しました。
 しかし、信玄は、甲斐の本拠地である躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)に、巨大な天守や石垣を築きませんでした。
 彼の館は、土塁と堀で囲まれた質素なもので、他の大名が築いたような近世城郭とは対照的でした。
 このことから、信玄は「城を築かぬ大名」として知られていました。
 この、一見すると異質に見える信玄の行動に対し、家臣たちが疑問を抱いた際に、信玄が答えた言葉こそが、「人は城、人は石垣、人は堀」であったと伝えられています。
言葉に込められた信玄の哲学
 この短い言葉には、信玄の深い哲学が凝縮されています。
 それは、単なる軍事的な思想ではなく、「人」こそが国を治める最も重要な要素であるという、彼の治世の根幹をなすものでした。

1.「人は城」:
 信頼できる家臣団が、何よりも強固な城である 信玄は、どんなに強固な石垣や天守があっても、その中にいる人間が脆弱であれば、城は容易に落とされると考えました。
 彼は、物理的な城よりも、家臣団の結束と忠誠心こそが、国を守るための最も強固な城であると信じていました。
 〇実力主義の徹底:
 信玄は、家柄にとらわれず、有能な人材を積極的に登用しました。
 彼の家臣団は、武田四天王に代表されるように、様々な出自の者たちで構成されていました。
 彼は、家臣の能力を最大限に引き出し、彼らの信頼を勝ち取ることで、揺るぎない結束を築きました。

 〇 人心掌握術:
 信玄は、家臣からの進言を真摯に受け入れ、時には自身の意見を曲げてでも家臣の意見を尊重しました。
 また、戦で手柄を立てた者には、褒美を惜しみなく与え、その功績を正当に評価しました。
 このような細やかな配慮が、家臣たちに「信玄公のためなら命を懸けられる」と思わせる強い信頼関係を築きました。

2.「人は石垣」:
 有能な人材が、外敵を防ぐ強固な防壁となる 石垣は、城の土台を支え、敵の侵入を防ぐ役割を果たします。
 信玄は、この石垣を、個々の有能な人材に例えました。
 〇 武田四天王の活躍:
 馬場信春、内藤昌豊、山県昌景、高坂昌信といった武田四天王は、信玄の戦略を支え、自らも優れた将として活躍しました。
 彼らは、武田家の外敵に対する「石垣」として機能し、信玄の天下統一の夢を支えました。
 〇 適材適所の人材配置:
 信玄は、家臣一人ひとりの才能を見抜き、それぞれの能力が最大限に発揮できるような役割を与えました。
 治水や法律の整備、外交、情報収集など、様々な分野で有能な人材を配置することで、武田家全体の守りを固めました。

3.「人は堀」:
 民の支持が、敵を寄せ付けない深い堀となる 堀は、城の周囲に巡らされ、敵の侵入を阻む最後の防衛線です。
 信玄は、この堀を、領民からの支持に例えました。
 〇 善政の実施:
 信玄は、戦の天才であると同時に、優れた為政者でもありました。
 彼は、治水事業である信玄堤を築き、農業生産力を向上させ、領民の生活を安定させました。
 また、「甲州法度之次第(こうしゅうはっとのしだい)」という法律を制定し、領国内の秩序を保ち、公平な社会を目指しました。

 〇「戦国法」の尊重:
 信玄は、ただ武力で領土を奪うだけでなく、その土地の慣習や文化を尊重しました。
 これにより、新たな領民からも信頼を得ることができ、彼らは武田家のために力を尽くすようになりました。
 民の支持という「深い堀」は、敵が容易に侵入できない、見えない強固な防御線となりました。

「人は城」伝説がもたらした教訓
 信玄がこの言葉を遺したとされる背景には、当時の彼の置かれた状況がありました。
 彼は、織田信長や豊臣秀吉が築いたような巨大な城郭を持っていませんでした。
 しかし、彼は、その不足を補う以上に、「人」の力を最大限に引き出すことで、戦国最強の武田軍を築き上げました。
  この言葉は、私たちにいくつかの重要な教訓を与えてくれます。

 1.組織の強さは、物理的な設備ではなく、人の力にある 現代社会においても、企業の強さは、最新の設備や巨大なビルディングだけでは決まりません。
 その企業で働く人々の能力、そしてチームとしての結束力こそが、競争力を生み出す最大の要因です。
 信玄は、「ハード(城)」ではなく、「ソフト(人)」こそが重要であると、戦国時代に既に見抜いていました。

  2.リーダーシップの真髄は、信頼と育成にある 信玄の「人は城」という言葉は、リーダーシップの真髄を示しています。
 それは、部下を力で押さえつけるのではなく、彼らの能力を信じ、育成し、信頼関係を築くことで、組織全体の力を引き出すことです。
 信玄は、自らの権威を誇示するのではなく、家臣一人ひとりを活かすことで、揺るぎない基盤を築きました。

 3.組織は、外部の協力によってさらに強固になる 「堀」に例えられた領民の支持は、現代における「顧客」や「社会」の支持に置き換えることができます。
 企業が社会から信頼され、支持されること。これが、困難な状況を乗り越えるための、最も強固な防御線となります。
 信玄は、民の支持を得ることが、戦国乱世を生き抜くための不可欠な要素であると知っていました。

 「人は城、人は石垣、人は堀」という言葉は、単なる歴史的な逸話ではありません。
 それは、武田信玄が、戦国時代の混沌とした世を生き抜く中で見出した、人と組織、そして社会の関係についての普遍的な哲学です。
 彼は、物理的な城を築かずとも、家臣たちの忠誠心、有能な人材、そして領民からの深い支持によって、何よりも強固で揺るぎない「武田の城」を築き上げました。
 信玄のこの言葉は、時代を超え、私たちに、真の強さとは、人を大切にし、その力を最大限に引き出すことにあるという、大切な教訓を伝えているのです。