桃太郎の起源



犬・猿・雉が指し示す意味

 鬼の登場する昔話は、多数あるのですが、やはりまっ先に頭にあがるのは「桃太郎」でしょ桃太郎家来う。そうです、桃から生まれた桃太郎が犬・猿・雉を従え、鬼ヶ島で鬼を退治する話です。
 しかし、実は桃や動物たちは偶然選ばれた訳ではなく、理由が存在しているんです。

 もっとも、語られるのは「陰陽五行説」と絡んだ話。
 十二支を北から時計回りに並べると、鬼門・鬼ヶ島は丑寅の方角になります。
 「鬼門」は、鬼が出入するといって忌みきらう方角で、東北(うしとら)の方角となります。
 そして、鬼を抑える方角は裏鬼門(南西)となります。

 鬼退治をする桃太郎のお供は、裏鬼門から時計回りに申酉戌となったというものです。
 これは「陰」であって「陽」にあたるのが南西(ひつじさる)の方角だからです。
 うしとらに住む鬼を退治するには、対極の「陽」に位置するものでなければならないわけですが、そこには、ひつじ・さる・とり・いぬが並んでいます。
 さすがに羊は、鬼退治に連れていくには少々戦力としてはあてになるとは思えませんので除かれて、さる・とり・いぬが選ばれることになります。
 鳥のなかで雉子がはいったのは、よく闘う鳥とされており、日本特産の国鳥といわれていたからなのでしょう。

 これに加え、桃太郎のお供を考えるとき智仁勇に、親しみのある動物をあてはめることによって子どもにもわかりやすいお話にしようとしたという説もありますね。
 儒教四書の論語に「智の人は惑わず、仁の人は憂えず、勇の人は恐れない」とあり、孔子は智仁勇を大いなる徳とみなしていました。そこで、これを動物にあてはめて

「智」 猿は猿知恵というように知恵を持つ
「仁」 犬は3日飼ったら恩を忘れないという仁義を持っている
「勇」 雉は火事の時自らの羽を巣に覆いかぶせ卵を守ることから勇気を持っている

 桃太郎が、仁義・智恵・勇気を持つために、イヌとサルとキジがお供した、というのも納得的ではあります。

 以上の説明は、日本桃太郎会連合会というところで紹介されていました。
 この会では、桃太郎を学び、全国の桃太郎愛好家の方々と共に地域おこしや、桃太郎のおとぎ話の素晴らしさをより広く伝える活動をしているそうです。

 しかし、そもそも桃太郎の家来としてサルとイヌを一緒にしてもいいものでしょうか。
 だって、「犬猿の仲」といいますよね、犬と猿が一緒に行くというのであれば、きっと道中、喧嘩が絶えなかったのではないでしょうか。
 そうです、ここで犬猿の仲の仲介を取り持つのがキジなんです。
 十二支の順番で考えると申(猿)と戌(犬)の間に酉(鳥=雉)がきます。
 つまり、サルとイヌの間を取り持つ役割を担っていたのが、まさしくこのキジだったのではないでしょうか。
 桃太郎は、きっとサブリーダーにキジを任命して、うまく3者をマネージメントできたということでしょう。



桃が指し示す意味

 「桃」は、もともと中国原産の果実と考えられていますので、日本で桃が食べられるようになったのは中国から伝わってからとなります。しかし、伝わったばかりの桃は今のように甘くておいしいものではなく、実は苦くまずかったようです。日本で育てられた桃は花桃や菊桃と呼ばれるように、きれいな花を咲かせる観賞用としての役割がありました。
 その一方で、中国の古い医薬著作である「神農本草経」によれば、桃の核はうっ血や血行障害など、血の流れの滞り、またはそれによって起きる様々な症状や疾病などに効くとあり、花は悪鬼を殺し人を良好にする、そして桃の毛は子宝に効くといった効果が期待できることが書かれています。このような桃の効能から始まって時代と共に桃の果実・毛・葉・花・枝などあらゆる部分が万病に効くと考えられるようになり、桃には不思議な力が宿っていると考えられるようにもなりました。

 ところで「桃太郎」と名付けられた由来は、「桃から生まれたから桃太郎」というのはご存じのとおりですが、そのように言われ始めたのは、どうやら明治以降のことなのです。

 それまでは、どういわれてきたかというと、ここ大月でも伝わる話がありますが、「川から流れてきた桃を食べたおじいさんとおばあさんは若返り、その2人の間に誕生した男の子が桃太郎」ということです。

桃太郎 なぜ桃を食べると若返ったのかと言うと、前述しましたように古代中国では、桃は桃源郷の不老不死の果物であり、桃は木へんに「兆」と書くように、物事や生命の「兆し」を意味していたため、死などの悪い邪気を払う神聖なものとして用いられ、生命を宿す女性も意味するようになったからです。

 ところで、日本神話の代表格である『古事記』には、イザナギが鬼女を追い払う際に投げつけたのが桃の木の実となっています。
 イザナギノミコトが黄泉の国にイザナミノミコトを訪ねたときのことです。
 約束を守らなかったために、イザナギは身体中に蛆のたかるイザナミの死体を見てしまう。妻の姿に凍りついたイザナギは一目散に逃げ出すも黄泉津醜女に追いかけられる。
 イザナギが追いかけてくる醜女目がけて髪飾りを投げると、髪飾りはぶどうの実になった。醜女はぶどうを拾いムシャムシャと食べる。
 そして再びイザナギを捕まえようと追いかける。
 イザナギが櫛を投げると、櫛は筍になった。醜女は筍にむしゃぶりつく。筍を食べ終えるとまたもや追いかけてきた。
 最後にイザナギは、道のほとりにあるの木から実を3個つかみとり、醜女にぶつけてやっと難を逃れることができた。

 醜女(=鬼女)達があっという間に退散してしまったように、桃には、邪気を払う力、つまり鬼を追い払う力があると考えられています。そもそもなぜ桃で霊魂が払えるのかというと、桃には不老不死の力があるとも考えられたからです。

 そうなると、桃の力で生まれた桃太郎、あるいは桃から誕生した桃太郎は、生まれながらに「退魔の勇者」であり、「邪」に対抗する「善」の象徴ともいえるのでしょう。

 そして、昔から邪気の象徴は鬼とされており、邪気を祓う力のある桃には鬼を退治する力もあると考えられてきました。

 桃には薬、子宝としての効果があることから、桃は元気を取り戻す果実と見ることもでき、不老長寿は健康から来ていると言えます。桃太郎は健康・元気の象徴だったと考えれば、不健康が導く死、つまり死者である鬼に勝ったといえるのではないでしょうか。

 また、桃は女性の象徴でもありましたから、こういった伝承が、桃から生まれた桃太郎が鬼退治をする民話が誕生につながったのだと考えられます。