大月の桃太郎



 それでは、大月に伝わる桃太郎伝説とはどのようなものでしょう。
 ここにもいくつかのバリエーションがあるようですが、おおむね以下の内容のようです。
(「大月桃太郎伝説」の位置関係図(大月市観光協会HPより))

大月桃太郎伝説 昔、昔、岩殿山の西南にある九鬼山には十匹の鬼が棲んでいて、その中の一匹は赤鬼で他は青鬼でした。
 赤鬼は背丈も大きく力も強く暴れん坊だったので、遂に青鬼達から仲間はずれにされ、岩殿山に棲みついたが、やけになって乱暴を働き、里に出て女や子供をさらったり、牛馬を盗んで食べたりしたので、岩殿山の周りの村人達は、えらい困り、ひどく怖れていたそうです。

 特に岩殿山の東北の村には、美人が多く時々鬼にさらわれた。困った村人は徳巌山に庵を建てて住んでいたえらいお坊さん「どうしてらよかんべえ」と相談したら、「家の周りに葛の根を掘って植えなさい」と言われたので、その通りにしたら年々葛の葉が茂り家々を隠したので、それからは娘達がさらわれることもなくなったので、この村を葛野と名付けたそうです。

 さて岩殿山の東に百蔵山(桃倉山)という山があり、ここには桃の木が沢山生えていた。
 この山から特別大きな桃が一つ転がり落ちて葛野川に入り、流れ流れて下流の上野原の鶴島に流れていきました。

 一方、上野原の鶴島には、仲の良いお爺さんとお婆さんが住んでいました。ある日、お爺さんは山へ柴刈りに、お婆さんが川で洗濯をしていると、川上からドンブリコドンブリコと大きな桃の実が流れてきました。
 「何とでっかい桃だんべえ」と、拾い上げたお婆さんは家に持って帰り、お爺さんと一緒に食べようと思って割ったところ、中から可愛い元気な男の子が生まれてきました。

 桃太郎と名づけられたその子どもは、やがて強く逗しく成長し、岩殿山の鬼のことを聞き、「ひとつ退治してやろう」と、お婆さんにキビ団子をつくってもらって出かけました。

 途中、犬目で犬を、鳥沢で雉子を、猿橋で猿を家来にし、きび団子を食べて元気をつけ大声で「岩殿山の赤鬼よ、これから桃太郎が貴様を退治に行くぞ」と叫んだら、昼寝をしていた鬼は目を覚まし、大いに怒って手にした石杖を二つに折り、声のした方へ投げつけた。

 左手だったが、地響きをたてて突き刺さり大きな石が動くほど揺れた。ここを今「石動」と呼んでおり、石の杖を「鬼の杖」と呼んでいる。

 やがて西の方へまわった桃太郎が「赤鬼めー、覚悟しろー」と叫ぶと鬼は物凄い唸り声をあげて右手に持っていた石杖を桃太郎の方へ投げつけた。
 今度は勢い余ってびゅーんと桃太郎の頭上を飛び越して笹子の白野と原の境に突き刺さった。これを今でも「鬼の立石」と呼んでいます。

 石杖をなくした鬼は、岩石を持ち上げて投げつけたり蹴飛ばしたりして暴れ狂った。
 そのため岩殿山の頂上近くにあった大きな岩石は、南の桂川に転がり落ち、山の形が変わるほどだった。

 桃太郎は鬼の攻撃にも負けることなく、やがて岩殿山の頂へ攻め上っていきました。
 鬼は頑張ったが、あまりに勇敢な桃太郎に追い立てられて逃げ出そうと、遂に東にある徳巌山に逃げようと片足をかけたところ股が裂け、とうとう死んでしまった。

 このとき飛び出した腸は固まって岩石となり下の畑の隅に転がっていて村人は「鬼の腸(はらわた)」と呼んでいました。
 そのとき流したおびただしい血は、土の中にしみこんで、今でも赤い血のような土が岩殿の子神神社のあたりから沢山出てくるので「鬼の血」と呼んでいます。
大月
山梨県連合婦人会 編集・発行(平成元年)「ふるさとやまなしの民話」
元大月市賑岡公民館長 故石井深・編 「郷土の昔話」より

 ちなみに、岩殿山の麓、葛野に伝わる話では桃太郎は桃から生まれるのでなく、百蔵山の桃を食べたお婆さんが若返って、そのお婆さんから生まれた(産んだ)とされています。