大月の鬼物語




 古来、日本の歴史の中で語り継がれる怪物「鬼」。
 日本の季節行事や昔話、歌や祭りなどでも度々登場する「鬼」。

 天狗や河童と同じく、日本を代表する三大妖怪の一つに数えられており、鬼の外見の特徴として最もよくイメージされるのが、真っ赤、あるいは青い体にパーマをかけたように縮れた頭に牛のような2本の角を持ち、つり上がった目に牙の生えた口、腰には虎の皮でできたパンツを履き、手に金棒を持った姿。
 これは地獄の鬼が由来となっていますが、この恐ろしい姿で金棒を振り回す様子は、人々を震え上がらせます。

 鬼という存在は、720年の日本書紀ですでに日本に登場していました。
 そこでは遠い国からきた外国人や海賊、山賊などの反社会的集団を「野蛮で醜いもの」という意味で「鬼魅」と記述していますが、ここにも「おに」という読み仮名が振られています。
 昔はこうした人々を含んだ「得体の知れないもの」を総称して鬼と呼んだとも考えられます。

 それにしても、鬼は、恐ろしいもの、力強いもの、超人的なものの象徴とされています。
 人に危害を加えたり、人を食べたりするなど「悪」の存在であることが多いのですが、時には、人を助けたり幸せをもたらす「善」や、崇められる「神」など、多様な捉え方があります。

 それらの背景にあるのが、本来、鬼は「死者の霊」であるという考え方です。
 「鬼」という言葉はもともと中国から入ってきました。
 漢字の「鬼」は死体を表す象形文字で、現在でも人が亡くなることを「鬼籍に入る」と表現するように、人は死んだら鬼になると考えられていました。
 このように鬼を祖霊や神と結びつけるようにもなりました。

 それが日本に伝わると、仏教の概念と結びつくことで、鬼は恐ろしくて怖いもの、そして、鬼には超人的な能力があり、人間の禍福を支配する存在だと捉えるようになりました。
 こうやって日本に存在する鬼は単なる怪力をもった怪物の一つではなく、人の怨霊、伝説上の神、妖怪、魑魅魍魎など様々な形で想像され、多種多様な描かれ方をするようになり、登場する場面によって鬼の定義が異なってくるのでした。

 ところで、岡山の桃太郎では、吉備津神社の御祭神である吉備津彦命(キビツヒコノミコト)がモデルとされおり、一方、鬼は温羅(うら)という名前で登場し、桃太郎に成敗されてしまいますが、その正体は、妖怪でも怪物でもなく、ましてや神でもなく、朝鮮からやってきた製鉄技術を持った「人間」だったと考えられています。

 さて、大月の桃太郎伝説によれば、岩殿山の東側には、鬼の棲んでいる洞窟がありましたが、元々、鬼は10匹いて、都留市にある九鬼山(くきやま)から逃れてきた1匹の鬼がこの洞窟に隠れ棲んでいたといいます。九鬼山の由来は、残った9匹の鬼にちなむということです。

 鬼たちは里人をさらったり家畜を食べていたりと、やはり悪者だったようですが、大月の桃太郎が成敗した鬼とは、いったい誰だったのでしょうか。
 大月の鬼の正体について、いくつかの説をご紹介します。