超古代文明「富士王朝」説



 「ムー」2017年2月号には、興味ある記事が載っていました。

「大月という地理を考えたときに、気になるのは「富士王朝」のことです。超古代史文献『宮下文書』によれば、神武天皇よりもはるか昔の時代、富士山北麓の「高天原」(現在の富士吉田市付近)を拠点として、超古代王朝が繁栄したといわれる。大月はその「高天原」に比定される地点から桂川沿いに20キロメートルほど北東へくだった場所にあたり、富士山の眺めが日本一美しいともいわれる土地でもある。『宮下文書』そのものには、桃太郎に言及する箇所はない。しかし、仮に桃太郎を富士王朝の英雄のかすかな残映とみれば、大月桃太郎物語において、霊峰富士山をバックにした桃太郎一行の勇ましい姿は、太古の富士王朝の栄光を伝えようとする、暗号めいたメッセージのようにも思えてくる。それとも、退治された鬼とは、歴史から消された富士王朝のことを隠喩しているのだろうか。」


 
 富士宮下古文献、通称、「宮下文書」とは、富士山の北麓、山梨県富士吉田市大明見(旧南都留郡明見村)の旧家、宮下家に伝来する古記録・古文書の総称です。

 その内容は神武天皇が現れるはるか以前の超古代、富士山麓に勃興したとされる「富士高天原王朝」に関する伝承が含まれており、その大半は中国・秦から渡来した「徐福」が筆録したと伝えられています。

 徐福は、始皇帝の命を受け不老不死の霊薬を探すために旅を続けるのですが、それが日本にあるとの情報を得てやって来たのだとこの古文献では伝えています。探していた霊薬があるとされた「蓬莱山」とは富士山の事だったと述べているのです。
 徐福は、富士山の麓に辿り着き、そこで現地に残っていた伝説などを集め始めます。それがこの古文献の元となったのだといい、元々は神代文字で書かれていたものを漢字などに翻訳して宮下家が大事に受け継いできたのだと伝わります。

 ここで宮下古文献には、太古の時代に富士山のふもとに霊峰富士への信仰を核とした壮大な王朝が繁栄していたといいます。日本神話における「高天原」とはこの王朝の事だったと文献は伝えているのです。

 富士王朝があったとすれば、その王都のあった場所は西暦800年頃の富士山大噴火で溶岩の下に埋まって消滅し、その溶岩の上に青木ヶ原樹海が形成されたことになっています。
 果たして、富士王朝は本当に火山の噴火で消滅したのか、実は、桃太郎に侵略されて滅亡したのではと、深まる謎解きにチャレンジしてはいかがでしょう。