大月桃太郎のこぼれ話



桃太郎は卑怯千万

 桃太郎のお話は、勧善懲悪の際たるものですが、ちょっと気になるのが最後のくだりです。
鬼が降参した後、何と桃太郎自身が、鬼から荷車に積みきれないほどの宝物を与えられて帰還したというのです。

 山ほど宝物を手にして「みんなで幸せに暮らしました」と締め括るのは、いやいや強奪した宝物で本当に幸せなのと納得いかないのです。

 そう思って、探すとありました。
 福沢諭吉が子息のために書き与えた教訓集『ひゞのをしへ』の中で次のように記しているのです。
 いわく「桃太郎が鬼ヶ島に行ったのは宝をとりに行くためという。けしからんことではないか。宝は鬼が大事にしまっておいたもので、宝の持ち主は鬼である。持ち主のある宝をわけもなくとりに行くとは、桃太郎は盗人と言うべき悪者で、もし鬼が世の中に害を成すことがあるならば、桃太郎の勇気でこれをこらしめることはとても良いことだが、宝をとって家に帰り、お爺さんとお婆さんにあげたとすれば、これはただ欲のための仕事であり、卑劣千万である。」と。



 このように視点を変えてみていくと『桃太郎』には、もっと極端な解釈をした方がいました。文豪芥川龍之介による『桃太郎』では、鬼ではなく桃太郎の方が「悪人」という解釈がなされています。
 ここでは、桃太郎が鬼退治に出かけた理由は「仕事をするのが嫌だったから」というとんでもないものです。

 実際、降参した鬼の首領から桃太郎にたずねるくだりで
 「私たちがあなた様にどんな無礼を致したからこのような征伐を受けたのか、教えてください」と問いたのに対して、何と桃太郎の答えは「もともと鬼ヶ島を征伐したいと考えていたんだよ」ですって。

 「そこに山があるからだ」ばりに、そこに、たまたま鬼ヶ島があったから、そこには金銀財宝があったから、征伐したとは、どうしたんでしょう、正義の桃太郎は何考えているんでしょう・・・・・・

 つまり、ここでの桃太郎は、「楽して金銀財宝を手に入れたかったから、鬼の征伐に乗り込んだ」という、侵略者・略奪者として描かれているのです。

 さて、大月の桃太郎の鬼退治の真の目的は何だったのでしょう。果たして、大月の鬼たちは本当に鬼のような悪玉、大犯罪者、征伐されるような悪いことをした連中だったのでしょうか。