天狗の影響
天狗と絵画
天狗は日本の芸術に大きな影響を与えてきました。その影響は、絵画、彫刻、文学、演劇、音楽など、多岐にわたります。
絵画に見られる天狗の形相
天狗は日本の美術や文化における重要な存在で、その独特な姿は絵画や彫刻において頻繁に描かれてきました。
天狗の絵画には、その独特な姿が特徴的に描かれています。
一般的には、天狗は山伏の服装を身にまとい、その顔は赤く、鼻が高い。背中には翼があり、空中を飛翔するとされています。
この鼻の高さは、天狗が慢心の権化であることを象徴しています。天狗のイメージは、山で修行をする「山伏」を天狗と同一視したり、山伏が死後に天狗になるといわれていることから来ています。
天狗のイメージは時代とともに変遷し、定着したのは江戸時代以降のことであるとされています。
天狗の絵画には時代や地域によって異なる表現が見られます。
例えば、中国では天狗は犬の姿で描かれることが多いです。一方、日本では平安時代には鳶のイメージで捉えられることが多く、江戸時代になると鼻が高い天狗のイメージが主流となりました。というのも、天狗のルーツは中国にあり、隕石(いんせき)が大気圏に突入する際の衝撃音が犬のほえる声に聞こえたことから、「天の狗(いぬ)=天狗」と名付けられたと言われています。
天狗の絵画は、その時代の社会や文化を反映しています。例えば、歌川国芳の作品では、天狗が描かれることで、その時代の風刺や社会批判が表現されています。
また、天狗は日本各地で神様として祀られており、その地域や時代の風俗や信仰を反映しています。例えば、東京の高尾山では、天狗は飯縄大権現様の眷属(随身)として、除災開運、災厄消除、招福万来など、衆生救済の利益を施す力を持ち、古来より神通力をもつとされ、多くの天狗伝説や天狗信仰があり、神格化されています。
また、滋賀県の比叡山では「法性坊(ほうせいぼう)」、福岡県の英彦山では「豊前坊(ぶぜんぼう)」、京都府の鞍馬山では「僧正坊(そうじょうぼう・別名、鞍馬天狗)」、静岡県の秋葉山では「三尺坊(さんじゃくぼう)」など、古くから信仰されています。
『天狗草紙絵巻』に見られる天狗の形相
『天狗草紙絵巻』は、鎌倉時代末期の仏教諸大寺・諸宗派僧侶の慢心や行いの乱れを天狗にたとえて風刺し、その天狗らがついには発心成仏するという物語を描いた絵巻物です。
この絵巻は、奈良・京都の大寺の僧侶たちを天狗にたとえ、その驕慢ぶりを風刺、非難したものです。
『天狗草紙』の成立は、詞書に記される永仁4年(1296年)とする説が有力で、鎌倉時代後期の日本の仏教界を嘆き制作されたものと考えられています。
全7巻で伝世した5巻と摸本の2巻からなり、各巻は個別に伝来したが、元来は7巻が1セットで制作されたと考えられています。
絵巻の内容は、まず詞書によって大寺院の歴史や尊さなどを詳細に解説し、最期に「僧徒が我執驕慢によって天狗になる」と締めくくられます。
そのうえで具体的な僧徒の驕慢さは絵とこれに付く注記・台詞によって描写されます。
終盤の2巻である三井寺両巻では構成が変化します。『伝三井寺巻(個人蔵本)』では天狗の身に災難が続き、自らの不幸を述懐します。
これを受けて最終巻である『伝三井寺巻(根津美術館本)』では、天狗が「まことのこころ」を興し、自らが興した災いを悔いながら寺社を建立します。
そして魔界に堕ちた天狗も仏法によって発心成仏することできると説かれて終わります。
『天狗草紙絵巻』は、その時代の社会や文化を反映し、人々の恐怖や畏怖感を描き出す一方で、天狗そのものへの関心を深め、多様な表現を生み出す源泉となっています。
この絵巻は、その存在が人々の心に強く影響を与え、天狗に対する理解と解釈を深めることを可能にしました。
狩野元信の「鞍馬大僧正坊図」に見られる天狗の形相
「鞍馬大僧正坊図」は、室町時代の絵師である狩野元信によって描かれた作品で、日本で初めて具象化された大天狗(鼻高天狗)の姿とされています。
この絵画が描かれた時代背景は、中世の日本で、天狗が「大魔王」などと呼ばれ、天狗道に堕ちているがゆえに、不老不死とされ、仙人の如く様々な業を発揮し、仏教に障害を試み、ものによっては国家を揺るがす大妖怪とされるようになった時期です。
この絵画に描かれている天狗の特徴は、それまでの半人半鳥のような姿から一変し、赤ら顔に長い鼻、一つ歯の高下駄、葉ウチワといった特徴を持つ大天狗(鼻高天狗)の姿です34。また、天狗の中でも、大天狗または力の強い天狗が持つとされる羽団扇が特徴的です。
羽団扇自体が強力な通力を有すとされ、飛行、縮地、分身、変身、風雨、火炎、人心、折伏など、何でも自由自在だと言われています。
狩野元信が描いた大天狗の姿は、その後の天狗のイメージに大きな影響を与えました。それまでの天狗の姿というのは、ほとんどが烏天狗の姿であったのに対し、この「鞍馬大僧正坊図」に描かれた大天狗は、烏天狗とは異なる容貌をしており、従来の天狗とは一歩出た大天狗のイメージとして広く認識されるようになりました。
その結果、近世以降、一般に鼻高天狗を大天狗、烏天狗を小天狗と呼ぶようになりました。このように、「鞍馬大僧正坊図」は、天狗のイメージ形成に大きな影響を与えたと言えます。また、この絵画は、天狗の象徴性やその時代の社会や文化を反映しており、日本の美術や文化における重要な存在となっています。
これらの作品を通じて、天狗の深い意味やその存在の重要性をより深く理解することができます。
演劇や音楽における天狗
天狗は日本の伝統芸能である能や狂言において重要な役割を果たしています。その独特な動きや声色は観客を魅了し、物語を引き立てます。以下に具体的な例を挙げて説明します。
「鞍馬天狗」
「鞍馬天狗」は、五番目物、天狗物、太鼓物に分類される能の演目の一つです。この物語は、源義朝の子である牛若丸(後の源義経)が主人公となり、鞍馬山の大天狗から兵法の奥義を伝授される様子を描いています。
物語は春の鞍馬山で始まります。大勢の稚児を連れた僧が花見にやってきますが、その席に怪しい山伏が上がりこんできます。山伏の不作法な振る舞いに、僧は憤慨し、稚児たちとともに去ってしまいます。しかし、稚児の一人である牛若丸だけがその場に残り、山伏と親しく語り合います。
山伏は人々の心の狭さを嘆きつつ、牛若丸の境遇に同情します。そして、山伏は自身が鞍馬山の大天狗であることを明かし、牛若丸に兵法の奥義を伝授することを約束して姿を消します。
翌日、約束通りに牛若丸が待ち受けていると、各地の天狗たちを引き連れた大天狗が登場します。大天狗は、牛若丸の自分を想う心のいじらしさに感じ入り、兵法の秘伝を残りなく伝えると、牛若丸に別れを告げます。
袂を取って別れを惜しむ牛若丸に、将来の平家一門との戦いで必ず力になろうと約束し、大天狗は、夕闇の鞍馬山を翔け、飛び去ります。
この物語は、牛若丸が平家を滅ぼすための力を得る過程を描いており、天狗の存在が物語を引き立てる重要な要素となっています。また、この物語は、牛若丸と大天狗との間の少年愛的な仄かな愛情を、華やかな前場と、山中での兵法相伝を行う後場の対比の中に描いています。これらの要素は、「鞍馬天狗」が観客に深い感動を与える理由の一つとなっています。
能「是界」
「是界」は、五番目物、切能物に分類される能の演目の一つで、竹田法印宗盛によって作られました。この物語は、中国の大天狗である是界坊が主役となり、慢心の者を天狗道に引きずり込むという内容を描いています。
物語は、中国の大天狗である是界坊が日本にやってきて、日本での仏教普及を妨げようとするところから始まります。
唐の天狗、是界坊(善界坊/是我意坊)は、中国全土で慢心する者をすべて、天狗道に引きずり込んだと自負し、さらに版図を広げようと、日本にやってきます。
愛宕山の天狗、太郎坊を訪ねた是界坊は、仏教の盛んな神国の日本で、仏法を妨げ、天狗の勢力をのばそうという自分のたくらみを語りました。
太郎坊は賛同し、比叡山をねらうことを勧めます。
是界坊は、顕教、密教を兼学する比叡山の仏法の充実ぶりにためらう様子を見せ、特に不動明王に恐れを表しますが、太郎坊がますます後押しし、自分が案内しようというので力を得て、一緒に雲に乗って比叡山へ向かいました。
比叡山では、飯室の僧正が、都で天狗由来と思われる変事があるため祈願に来てほしいとの勅命を受けて、出立しようとしていました。
その先駆けとして、能力が巻数を携えて都へ向かって進んでいると、大風が吹いてきたため、天狗の仕業と恐れをなして、戻ります。
その後、飯室の僧正は、比叡山を下りて、都へ近づいていましたが、途中で雷雨に見舞われます。
是界坊が現れ、行く手を阻もうとしたのです。
雲の中から、邪法の呪いの声が聞こえてきますが、僧正は落ち着いて不動明王に祈願しました。すると、不動明王が仏法を守護する神々を引き連れて現れ、悪魔降伏の力を発揮します。
さらに日本の神々も来臨して風を吹かせたため、是界坊の飛行の技も破られ、地に落ちて力尽きます。
是界坊は姿をくらまし、もう絶対にくることはないと言い残して、雲の中に逃げていきました。
この物語は、非常に高度な神通力を持つ天狗も、仏法の力には対抗できないという内容で、仏法の有難さを伝える話になっています。
特に、後半の是界坊と僧正の戦いが焦点になります。この物語を通じて、天狗の高慢な性格と神通力が描き出され、観客を引きつけます。
天狗は、非常に高度な神通力を持ち、人間からは畏怖される者ですが、極めて高慢な性質を持っています。得意げに自慢することを「天狗になる」といいますが、まさにその性質が特徴的で、能「是界」でも慢心の者を天狗道に引きずり込んだ、と是界坊が自慢する場面が出てきます。
これらの能では、天狗の独特な動きや声色が観客を魅了し、物語を引き立てます。
また、天狗の存在は、物語の中で重要な役割を果たし、観客に深い印象を与えます。
これらの要素が組み合わさって、天狗は日本の伝統芸能における重要な存在となっています。
「正調博多節」
福岡を代表する民謡といえば「黒田節」と「正調博多節」でしょう。
福岡市内を流れる那珂川の西の福岡では、黒田藩五十二万石の城下町で「黒田節」が歌われ、東の町人の町・博多ではこの「正調博多節」が、花柳界を中心に歌われてきました。
「正調博多節」の歌詞の元になっているのは「博多節」の元曲である「天狗さま」です。
この曲は、大正10年頃に博多の花柳界がさびれはじめた頃、景気回復策の一環として新しい唄を作ろうということになり誕生しました。
博多の花柳界は、一世を風靡したものの、大正10年頃には徐々にさびれはじめ、芸者が廃業するまでに追い込まれていました。
そこで、人気挽回策として新しい唄を作ることになり、「正調博多節」が誕生しました。
この曲の歌詞は一般募集から選ばれたもので、粋な節回しに魅了される愛好者が増えて全国的に唄われるようになりました。
曲名は博多節を区別するために「正調博多節」と命名されました。
「正調博多節」は、一般の民謡のように歌うというよりは、語りかけるような口調で唄います。芸妓さんが唄うので、ちょっと艶っぽく、抑揚をつけてしっとり唄います。
○博多帯締め 筑前絞り 歩む姿が 柳腰
○博多へ来る時ゃ 一人で来たが 帰りゃ人形と 二人連れ
○操縦縞 命も献上 固く結んだ 博多帯
○意気地づくなら 命もままよ 博多小女郎の 末じゃもの
○何の玄海 船底枕 覚めりゃ博多の 灯が招く
○何の玄海 船底枕 明けりゃ博多の 灯が見える
○何を偲びて 鳴く小夜千鳥 博多小女郎の 夢の跡
○寄する仇波 いつしか引いて 主と玄海 おぼろ月
○風が邪魔して つがいの蝶も しばし菜の花の 裏に住む
○博多人形に 思いを秘めて 贈る私の 胸の内
○千代の松原(松ヶ枝) 傾(かたぶ)く月を かけて一声 ほととぎす
○博多山笠 締め込み法被 シュっとしごいた 力綱
○筑紫名所は 名島に宰府(さいふ) 芥屋(けや)の大門(おおと)の 朝嵐
○博多柳町 柳はないが 女郎の姿が 柳腰
○博多柳町 柳はないが 恋の小女郎の 夢の跡
○博多柳町 蛇の目がけぶる 明けの別れの 涙雨
○御衣(ぎょい)を捧げて 泣く秋の夜に 月がさし込む 榎寺
○恋の中道 情けの博多 波を隔ての 礒千鳥
○海の中道 手をさしのべて 抱いて静かな 博多湾
○誰に買われて いくとも知らず 博多人形の 片えくぼ
○博多よいとこ 朝日に映えて 松と竹とが 西東
○博多恋しや 小女郎が招く 何の玄海 波枕
○君を松原 月さえ朧 名所名島の 波の音
○飽かぬ別れに 今日この頃の 痩せを覚ゆる 博多帯
○締めりゃ泣くから とる手を替えて 解けばまた泣く 博多帯
○知らぬ振りして ただ一滴 博多絞りの 落とし紅
○博多見せよか 那珂川見しょか 仇な姿の 水鏡
○蒙古十万 沈めた海と 聞くも勇まし 波の音
○行こか柳町 戻ろか新茶屋 ここが思案の 石堂橋
○鼻と鼻とがお邪魔になって 口も吸えない 天狗さま
「天狗の火渡り」
祭りの囃子にも天狗の名が見られます。例えば、琴平神社例大祭の「天狗の火渡り」では、天狗が獅子舞と神輿を先導しながら町内を練り歩きます。
「天狗の火渡り」は、北海道古平郡古平町にある琴平神社の例大祭の一部で、毎年7月上旬に行われます。この祭りは、漁業の安全と大漁を願って行われ、地域の方々に親しまれています。
祭りの中心となるのが「天狗の火渡り」で、これは力強く勇壮な儀式です。高下駄を履いた天狗が、獅子舞とご神体を掲げた神輿を先導しながら町内を練り歩き、ご神体を清める儀式を行います。燃えさかる炎の中を天狗、獅子舞、神輿が進む姿は、その迫力から観客からは大きな歓声が上がります。
特に注目すべきは、天狗の火渡りの部分です。火が付けられると火柱は約3メートルほどの高さになり、その中を天狗が火渡りをします。この迫力ある光景は、観客を引きつけ、祭りのハイライトとなっています。
また、この祭りは地域の人々によって支えられています。しかし、近年では担い手不足や資金不足などの問題が深刻化しており、地元の努力だけでは維持が難しい状況となっています。そのため、現在ではクラウドファンディングによる資金の調達など、新たな取り組みが行われています。
以上のように、「天狗の火渡り」は、その迫力ある光景と地域の人々の絆を感じることができる祭りで、訪れた人々に深い感動を与えます。この祭りは、日本の祭り文化の一つとして、その伝統と魅力を今後も引き継いでいくことが期待されています。
天狗と芸術
天狗と文学 | 日本の文学に与える影響 |
---|---|
天狗と絵画 | その独特の姿は絵画にも |
天狗と文化 | 独自の解釈と創造性 |