天狗の変遷
文献に現れる天狗(太平記)
『太平記』は、南北朝時代を舞台にした軍記物語で、天狗が数々のエピソードで登場します。
特に有名なのは、崇徳上皇が天狗として描かれるエピソードです。
『太平記』における天狗は、朝廷に味方する形でたびたび登場します。
まず、「高時天狗舞」のエピソードは、北条8代執権高時が田楽舞に興じる様子を描いています。
天下一大事のときにも関わらず田楽舞にふける高時を、十数人の天狗(怪鳥の容姿)がいい様にもてあそび、高時は天狗たちに弄ばれ散々な目にあって気絶します。
一方、新田義貞が北条討伐の兵を挙げたときには、天狗山伏が予知能力と迅速さを生かし伝令として活躍しています。
義貞が挙兵し、上野国新田庄で挙兵したとき、山伏が触れ回ったことで事情を知り、駆けつけたと義貞に伝えています。
これらのエピソードは、天狗が政治の表舞台に出現し、政治的な性格が強調されるようになった南北朝時代を象徴しています。
天狗は数々の軍記物に登場し、天下動乱を引き起こす妖怪といった、政治的な性格が強調されるようになります。また、天狗はしばしば「山伏」の形をするようになります。
この時代、比叡山や三井寺など体制派密教寺院は、山伏の修験道を邪教扱いし、弾圧していましたので、山伏の姿をした天狗とは、体制にとって邪教徒である事の隠喩であったと考えられます。
また、「天狗評定」のエピソードは、天狗たちが政治の表舞台に出現し、その力を発揮する一例として描かれています。
このエピソードは、楠正行が戦死し、足利尊氏が朝廷への圧力を強めたときの出来事です。天狗たちは仁和寺にある六本杉で「天狗評定」を行い、その中で天狗道に堕ちたことへの罰として、参加者全員が火に焼かれます。
しかし、二刻後には何事もなかったかのように全員が蘇生し、評定を続けます。
評定の結果決まった策略は、尊氏の弟直義の妻の子どもとして転生する、家臣たちに邪法を吹き込むといったものでした。
このエピソードは、天狗の神通力とその影響力を強調し、その多面性と複雑さを示しています。また、天狗たちが人間界の政治に深く関与し、その運命を左右する力を持っていたことを示しています。これらの要素は、天狗の神秘的な存在とその影響力を強調し、その多面性と複雑さを示しています。
そして、その存在は、人間の欲望や煩悩、そして仏法との闘争を象徴する存在となりました。これらの説話を通じて、天狗のイメージが形成され、現代に伝えられています。
『太平記』に登場する天狗の中でも特に有名なのが崇徳上皇です。
『太平記』における崇徳上皇の天狗としての描写は、日本の伝説や神話の中でも特に印象的なものです。
崇徳上皇は、怨霊から天狗に転じた妖怪として描かれています。
彼は「金色の鳶」として登場し、その姿は他の天狗に比べてより長い鼻を持つ「鼻高天狗」や半人半鳥で背中に翼をもつ「烏天狗」などが最も多く描かれています。
彼は、毒の息で都に疫病を流行らせ、貴族や大臣を病気や死に追い込み、延暦寺の強訴、鹿ケ谷の陰謀などを引き起こしたとされています。
「安元の大火」も別名「太郎焼亡」ともよばれ、崇徳上皇(愛宕山太郎坊という別説もある)が起こしたとされています。
崇徳上皇の怨霊=大魔縁のイメージは、時代が下るにつれて肥大化していったのです。
鎌倉幕府の滅亡から南北朝の大動乱を描いた『太平記』のなかでは、崇徳上皇は天狗の巣窟である愛宕山に集結する日本の天狗の棟梁として語られるようになる。
このように、『太平記』における崇徳上皇の天狗としての描写は、その強力な影響力と存在感を通じて、天狗のイメージとその神秘性を強調しています。
また、崇徳上皇の天狗としての描写は、その怨念と力を通じて、人間界と超自然界との間の緊張と葛藤を象徴しています。これらの要素は、天狗の神秘的な存在とその影響力を強調し、その多面性と複雑さを示しています。
このように、『太平記』における天狗は、政治の表舞台にも出現し、その力を発揮します。天狗は、その神通力を駆使して人間界を悩ませる存在として描かれる一方で、その力は仏法の前では無力であるという教訓が込められています。
また、天狗は、その神秘的な力と存在が物語の重要な要素となっています。
そして、その存在は、人間の欲望や煩悩、そして仏法との闘争を象徴する存在となりました。
これらの説話を通じて、天狗のイメージが形成され、現代に伝えられています。
天狗の文献
日本書紀 | 天狗の概念が文献に登場 |
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宇津保物語 | はるかな山に住む天狗 |
今昔物語集 | 仏教説話に登場 |
太平記 | 政治の表舞台に登場 |
是害坊絵巻 | 比叡山の僧と法力比べ |
源氏物語 | 人間の世界に干渉 |
保元物語 | 日本三大怨霊の登場 |
遠野物語 | 山の怪の代表格 |