大月の鬼にかかわる史跡の数々



鬼の岩屋

 大きな一枚岩が口を開けたような洞穴の暗がりから水がしたたる音がかすかに響く。大月市鬼の岩屋の岩殿山の畑倉登山口から少し登ると、「鬼の岩屋」(正式名・新宮洞窟)はその姿を見せます。

 岩殿山には戦国時代、武田家の家臣「小山田氏」の居城・岩殿城があり、その地形を利用した城は強固な要寒となっていたといいます。現在でも岩殿山は大月市のシンボル的存在の山となっていますが、その昔、赤鬼が住んでいたという言い伝えがあり、これが『大月桃太郎伝説』につながります。

 岩殿山は標高634メートルにすぎないのですが、巨岩、岩壁が所々に露出し、奇観・名勝をつくっています。この洞窟もそうした奇観のひとつなのですが、地元では「鬼の洞窟」、「鬼の岩屋」と呼ばれているのです。
 これ、実は、修験道場の元円通寺新宮洞窟といわれるところなのですが、いかにも赤鬼の棲み家然とした風情です。

 新宮は修験道山岳寺院だった円通寺(現在廃寺)の伽藍の一つで、神宮橋から南に 200m ほどの位置にある岩窟内に社殿が造られました。 その構造と大きさについては、古書によると、岩窟に柱を立て岩を直に天井として正面が三間、洞窟内部に向かって七間とあります。
 それにしても、正式名称の「新宮洞窟」という名に相応しく、新緑の似合う美しい洞窟です。雨量の多い時にだけ見られる滝が絶景だそうです。また、洞窟内から外を見ると、富士山の形に切り取られた風景を見る事ができます。

 しかしながら、岩殿城にしても修験道場にしても後世のものであり、そこはもともと鬼の住鬼の岩屋処だったといわれるとなるほどねと信じたくもなります。とすると、この岩殿山が「鬼ヶ島」ということなのでしょうか? 
 ところで、なお、岩殿山の赤鬼は、はじめ、九鬼山(都留市では鬼退治の舞台として伝わる)に青鬼9匹と暮らしていたが、破天荒な性格と肌の色の違いが仇となり、仲間はずれにあい、岩殿山に移り棲んだということです。
 そして桃太郎伝説では、「鬼の岩屋」は、鬼が金銀財宝を蓄えていた保管庫だったようです。

 なお、岩殿山への登山口である畑倉登山口は、JR中央本線大月駅から徒歩で40分ほどです。大月駅から徒歩20分ほどで行ける強瀬ルート登山口というのもありますが、2019年の鏡岩崩落のため、途中の丸山公園までで行き止まりとなり、山頂への道は通行止めになっています。

鬼の岩屋
大月市賑岡町畑倉