大月の鬼にかかわる史跡の数々



猿橋

 さて、桃太郎が家来の猿とであったとされる桂川の切り立った渓谷に架かるこの猿橋は「岩国の錦帯橋」「木曽の棧(かけはし)」と並ぶ日本三奇橋のひとつと呼ばれており、橋脚をも猿橋たない桔橋(はねばし)という特異な構造をもつ橋です。

 猿橋は、橋の長さは約 31m で、橋の 幅は 3.3m、橋板から水面までは約 31m あります。

 歌川広重の「甲陽猿橋之図」や十返舎一九の「諸国道中金之草鞋」などにその珍しい構造が描かれています。
猿橋
 猿橋の伝説は、推古天皇 の時代、西暦600年ごろ百済からやって来た志羅呼(しらこ)という造園博士が橋の建設の苦心していたところ、猿が体をつなげあって対岸に渡っていく姿をみて、両岸から巨木を倒して重ね、谷にかける構造を思いついたといわれています。

 記録上は約500年前にこの橋があったとされ、約17回の架け替えが記録に残っているとあります。
 現在の猿橋は、嘉永4(1851)年に架替を行った 時の工事報告書である出来形帳(できがたちょう)を 参考にして、江戸時代の猿橋を復元したものです。

 明治33(1900)年の架替から、交通量の増加や 運搬車両の通行のため、猿橋は幅を大きく拡げます。

 しかし、昭和9(1934)年新猿橋の架橋によって国道としての使命は終ります。以後、歩行者用として、また国の名勝(昭和7年)として現在でも残されています。

 なお、猿橋は、もともとは木材だけで作られていましたが、材料調達やメンテナンスの問題から、鉄筋を木材で囲うようにして改修しているそうです。
 このためしばらくは架け替えは行われないでしょう。

 なお、大正時代には桃太郎伝説をモチーフにした「桃太郎もち」が猿橋名物として、駅前旅館「桂川館」により猿橋駅で売られており、そのことから大月では桃太郎伝説発祥の地を自認していことがうかがえますね。
 なお、この桃太郎もちは一度販売終了していたものの、2017年になり再販売されています。