大月の鬼にかかわる史跡の数々



桂川

 昔むかし、おばあさんが「桂川」で洗濯をしていると、どんぶらこどんぶらこと大きな桃が「ももくら山」の麓から流れてきました。その桃から生まれたのが「桃太郎」。「鶴島」にて成長した桃太郎は、「岩殿山」に住む悪い鬼の退治に出かけました。道中、腰に付けたきび団桂川子をあげ、「犬目」でイヌを「鳥沢」でキジを、「猿橋」 でサルを家来にしました。桃太郎軍団との激闘の末、攻撃に耐えかねた鬼は逃げ出し、隣の「徳巌」に足をかけると、哀れなことに股が裂けてしまいました。

 大月桃太郎の話の始まりとなる桃が流れてきた川は、山中湖を水源に延長109kmの一級水系相模川であり、山梨県では桂川と呼ばれ鮎釣りの名所として知られています。
 桂川沿いはモミジやイチョウ、ケヤキなどの紅葉が見頃を迎えると、大月市にある日本三奇橋の一つ「猿橋」周辺には、県内外から数多くの観光客が訪れます。

 桃太郎の桃が桂川を流れてきたとすれば、山中湖つまり霊峰富士を源とすることから、英雄が生まれるお膳立ては整っていると思われます。
 特に古代、桂川の上流は甲斐と都を結ぶ要衝の地であり、ヤマトタケルノミコトや坂上田村麻呂の東征伝承など、様々な伝承が残ります。

このような土地で

「あるやんどころない出自の子供が、綺麗な着物にくるまれて「桂川」に流された。それを下流に住む子供のいない老人の夫婦に拾われた。ところが辺境の地の老夫婦は絹の身包みを見るのは初めてで、まるで桃に包まれた赤ちゃんに思えた。そしてその子は出身は争えず、凛々しい若武者に育ち戦で武功を立て、貧しいながらも人のいい養父母に孝行をした。」

「男児は戦に狩り出され確実に死ぬことがわかっているので、口減らしのためにも桂川に流すという風習があった。しかしお腹を痛めて生んだ我が子を自分の手で川に流すのは忍びなく、水の漏れない頑丈な箱に入れて流した。なかには下流で無事拾われ、立派な若者に成長した者もいて、こんな世の中にした村を荒らす荒ぶれ者たちを成敗してくれた」

こういった話が、桂川の神秘性ともあいまって桃太郎伝説に姿を変えたとしても不思議ではないでしょう。