八王子千人同心

八王子千人同心 時代を駆け抜けた誠の武士達

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箱館戦争と千人同心

箱館戦争  榎本和泉守武揚は、上野戦争で幕府が崩壊したのちも江戸開城に伴う降伏条件の一つである幕府軍艦の新政府への引き渡しを拒否します。

 そして、開陽丸をはじめとする8艦の旧幕府艦隊を率いて、新政府に対する不満を抱く者たちを収容し、奥羽越列藩同盟の支援に向うべく品川沖から海路を北へ向けたのです。

 しかし、榎本武揚が仙台藩に謁見した時には、奥羽越列藩同盟は崩壊しており仙台藩も降伏を決定していました。
 新政府の仙台藩入城を受けて、榎本武揚は桑名藩主・松平定敬、大鳥圭介、援軍を求めて仙台に北上していた土方歳三をはじめ新選組の生き残り・旧幕臣の伝習隊、衝鋒隊、仙台藩を脱藩した額兵隊など約3,000名を軍艦に収容して蝦夷地を目指したのです。

 実は、榎本艦隊には千人同心に関わる者たちが多く参加していました。その最たる者が多摩出身の新選組幹部たちです。
 新選組副長・土方歳三は日野の出身で、知人に多くの千人同心がいたのでした。
 また千人同心でありながら艦隊に参加した者もいました。
 いずれにしても彼らの行動の根底には、多摩という土地が徳川天領であったことに帰因する部分が大きいといわれています。
 我こそは将軍のために最後まで尽くす忠義の臣なりという信念があったのでしょう。

 そして、その艦隊が蝦夷地へ姿を現すことで、既に入植した千人同心関係者の運命をも大きく翻弄していくのでした。

 慶応四年は九月八日に改元され、明治元年と改められます。その年の10月20日払暁、榎本艦隊は内浦湾に姿を現すのでした。
 実は、榎本武揚には武力占拠の意思がなかったようです。このため相手を刺激せぬよう内浦湾に艦隊を寄せたといわれています。

箱館戦争 それに先立つこと4月26日、新政府は蝦夷地の処遇を決定し、箱館奉行所の設置されている五稜郭へ総督・清水谷公考とそれに属す者たちを派遣しています。
 これにより箱館奉行所は新政府に恭順し解体、箱館府として組織を一新したのでした。
 蝦夷地唯一の藩である松前藩も、九月に入ってようやく尊皇派の色に塗り替えられたのでした。そんな中に榎本艦隊が到来してしまったのです。

 蝦夷地上陸後、旧幕府脱走軍は二手に分かれて五稜郭を目指します。
七重を抜けてほぼ真っ直ぐに南下していく本道軍を指揮するのは大鳥圭介隊。
 そして海岸沿いを東へ進み、川汲から峠伝いに南下していく間道軍を指揮したのが土方歳三でした。

 しかし脱走軍は無用な戦いは望んでおらず、まずは箱館府知事・清水谷公考に宛てて明治政府への『徳川の臣僚食禄に離れ方向を失ひ、東西に彷徨する者を集め不毛の蝦夷地を拓き、北門鎖鑰の護りをなし国恩に報ぜん』(但し、認められない場合は「やむをえず官軍へ抗敵つかまつるべく」とも)
という嘆願書を携えた人見勝太郎ら30名を使者として先行させます。

 ところが箱館府配下の新政府軍が大野・七重まで北上して来たため、人見らは峠下に留まって後を追ってきた伝習士官隊・伝習歩兵隊と合流します。

 箱館府へは19日に津軽藩兵が、20日に備後福山藩兵・越前大野藩兵・松前藩兵が集結しており、榎本艦隊の動向を極度に懸念していました。
 そのため箱館府の兵を加えたこれらは峠下へ兵を進発させてその監視にあたらせていました。
 そこへ榎本武揚の嘆願書を携えた使者である遊撃隊・人見勝太郎と伝習歩兵隊・本多幸七郎それに護衛の兵30が現れたのです。
 人見勝太郎にはまったく戦意はなかったのですが、箱館府の兵が大砲を放ったことで事態は一転し、戦闘状態となってしまうのです。

箱館戦争 ここに箱館戦争が開戦したのです。

 実はこの箱館戦争時には、秋山幸太郎初め蝦夷移住組の八王子千人同心たちは、峠下村関門警護についており、旧幕府軍と戦う事になります。

 なお、秋山幸太郎は大川村において明治元年10月24日に戦死しています。
 旧幕府軍に合流していた千人同心改め千人隊同志と八王子千人同心の蝦夷移住組32名が、故郷から遠くはなれた蝦夷の地で、なんと敵味方の立場に別れて戦わなければならなかったという悲劇がここにありました。

 このように峠下付近の大野や七重でも箱館府軍と大鳥軍との間で戦闘が行われ、これをも打ち破った大鳥軍は10月26日、箱館に進軍して五稜郭を占領、五稜郭への入城を果たします。
 榎本武揚は、蝦夷地平定を宣言し、士官以上の選挙により総裁となります。

 旧幕府側だった土方歳三の活躍によって一時は新政府軍を抑え込みましたが、五稜郭が総攻撃を受けると、圧倒的な新政府軍の銃武力に激しい戦闘が続き戦況は好転することなく、土方歳三はわずかな軍勢で出撃し射撃され命を落とします。
 その知らせを聞いた榎本武揚は怒り自ら出撃しようとするも、総裁の立場があり周りに引き止められてしまいました。
 土方が戦死すると、もはや旧幕府軍に抵抗する力は残っていませんでした。

 そして新政府軍の総指揮を務めた黒田清隆(くろだきよたか)の降伏の説得に応じ、投降投獄されました。
 この箱館戦争が戊辰戦争における最後の戦いとなり、鳥羽伏見の戦いから続いた旧幕府側の抵抗は終わりを迎えました。